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【心に残った一冊】「A3」(森達也 著)

世の中には膨大な量の書物が存在する。その中でぼくが認知しているものはほんの0.数パーセントかそれ以下だろう。「読む」までたどり着くのは、そのさらにごく僅かだ。知っていても一生読まないままの本も数多あるが、ちょっとしたきっかけで手に取ることもある。「読む人」と「読まない人」の境界は紙一重だと思う。でも、たまたまその境界をまたぎ「読む人」になったことで、自分の中の何かが大きく変わることがある。この「A3」もそんな体験をさせてくれた一冊だ。

オウム真理教、麻原裁判を追うノンフィクション。その程度の認識しかなく、もう20年以上も前の出来事ということもあり、興味がゼロではないけどおそらく一生読まない。ぼくにとってはそんな作品だった。けれどnoteでの無料公開を知り何気なく読み始めた。

麻原の生い立ちや弟子の証言など、丹念な取材により様々な事実が明かされ、事件に対する新たな印象を与えてくれる内容に、食事を取る時間さえ忘れ没頭した。衝撃を受けたと言ってもいい。

そして作者の森達也さんが、心血を注いだ作品を無料公開してまで、少しでも多くの人に知ってもらいたいと願う事実。それは公判当時、麻原彰晃には「訴訟能力」がなかったと思わせる兆候が多くありながら、十分な精神鑑定・治療もなされずに裁判が進められ、判決・死刑執行に至ったことだ。

事件発生時の責任能力についての疑義ではない。公判時の訴訟能力の有無についてだ。明らかに精神異常と思われる言動を繰り返す被告に対し、公正さを欠いた状態で進む裁判。そして「オウム憎し」の感情にまかせ、その不可解な裁判の進行を、容認どころか望んでいるようにさえ思える報道を繰り返したマスコミ。

訴訟能力がないことは何を意味するのか。日本の歴史においても例を見ないほどの重大事件でありながら、その唯一の首謀者がなんら有意な証言をすることなくこの世を去ったということだ。犯罪に至った背景・心理・手法など、過去を検証し未来に活かす材料を何一つ残すことなく。そしてこの事件を境に、日本の社会が変わっていったと森さんは述べる。

言われてみれば、「変わっていった日本」について思い当たるふしはいくつもある。本質とは思えない箇所にスポットを当て狂騒するメディア報道。そこに煽られる世論。いつの間にか正論や理想論は「反●●」のレッテルを貼られ埋もれていく。


「A3」はオウム事件を通して、我々がもう一度立ち止まり、見ているものにもっと目を凝らし、聞いていることにもっと注意深く耳をすませることの重要性を訴えている。それは思想や立場の違いを超えて、誰もがもつべきスタンスなのだと思う。

現代を生きる人間として、この作品と出会えて良かった。心からそう思わせてくれた一冊。

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