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【犬に見せるための作品か?】プリキュアのズレた「多様性」と、わんだふるぷりきゅあの印象の悪さ

事あるごとに「多様性」という単語を目にするようになってから、もう久しくなった。
歴史の長いシリーズ作品に政治的なメッセージ性の強い要素が盛り込まれ、ファンたちの間で評価が割れたり、界隈が大きく荒れるのも何度も目にしてきた。

そして現在ではプリキュアもまた、その「多様性」の表現に積極的な作品の一つとなっているわけだが、現在のプリキュア周りで語られる「多様性」は根本的にズレており、メッセージとして意味を成していない
そう文句を言うのが今回の記事だ。

「多様性の尊重」とは、そもそも何なのか

いわゆる「ポリコレ案件」の最も典型的な例として挙げられるのは黒人や性的マイノリティの人物だろう。
そして、「こうした人々も社会には当たり前に存在している。異常なものではないし、差別されるべきではない」といった旨のメッセージが添えられるのがお約束だ。
つまり、多様性の尊重とは「今まで差別されていた、不当な扱いを受けていた人種・嗜好も、差別せず受け入れる」もののはずだ。

「多様性の尊重」とは社会的弱者を守るためにある。
今まで尊重されていなかったものだから、尊重することに価値がある。メッセージとして意味を持つ。

これが大前提だ。
だが、プリキュアという作品の周囲で語られる「多様性」は、それとは大きく異なっている。
例えば、2019年の作品、「スター☆トゥインクルプリキュア」には、羽衣ララという宇宙人が登場し、プリキュアに変身する。
これは近年のニュース記事等で何度も「宇宙人のプリキュアが登場するなんて多様性があって素晴らしい」と書かれていたのを覚えているが、これが多様性を尊重していると言えるか?

宇宙人は今まで差別されていたのか?
「宇宙人がプリキュアになるなんておかしい、無理だ」と世間で囁かれていたのか?

そんなわけはない。
むしろ宇宙人なんてSF作品では常連中の常連だし、近年リメイクされた「うる星やつら」のラムちゃんだって宇宙人だ。
優れた文明を持つ憧れの的だったり、地球人とは異なる価値観のせいでトラブルメーカーとなる存在だったり、あるいは地球に対する侵略者だったり。
宇宙人というのは創作において当たり前に受け入れられていて、「宇宙人を作品に出すな、気持ち悪い」なんて言う奴はいなかった。
そんな宇宙人がメインキャラクターとして登場することの、一体何が多様性の尊重なのか。

それ以前に、架空の存在は差別の被害者にもなりようがない
架空の種族が登場するだけで多様性を尊重しているなら、天使や悪魔、あるいはエルフやドワーフなんかが登場するファンタジー作品は全て「多様性に満ちた素晴らしい作品」か?
それで誰が救われるんだ?

俺は結構前から、真面目に「そろそろ一人くらい爆乳のプリキュアを出せ」と言っている。
現状、プリキュアは胸が絶壁なのが当たり前で、プリキュアとしては最大級の「フレッシュプリキュア」の人物ですら「少し膨らんでるかな」程度だ。
これは性的な表現を防ぐためだろうが、これがまずおかしな話だ。
「胸が大きい」ことは単なる身体的特徴でしかない。当人が望まずとも大きくなるものだ。
胸を強調した衣装や、漫画・アニメにおける乳揺れの描写など「狙った」性的描写は問題かもしれないが、胸が大きいこと自体は何も悪いことではないし、当人の意志とは無関係に背負うものだ

中学生ともなれば、発育の良い子は大きく胸が膨らんでいる場合もあるだろう。異国の人種問題や性的マイノリティの話と比べたら、「胸の大きさに悩んでいる女の子」の方がよっぽど身近で、リアルな悩みのはずだ。
別に、最初から多様性がどうとか言っていないならどうでもいい話なんだが、多様性を謳って特定人種、同性愛者やヴィーガンへの配慮はアピールするくせに、「胸が大きいのは性的だからダメ」と雑に臭いものに蓋をする対応を続けているのを見ると、本当にただ世間で騒がれている「代表的な弱者属性」に媚びる以上のことを何も考えていないのが透けて見えるのが嫌だ。
それとも「胸の大きい女は性的だからプリキュアになれない。ブルカでも着てろ」というのが公式な見解か?なわけねーだろ。

誰のための存在なのか

2023年の放送作品「ひろがるスカイ!プリキュア」では主要人物としては初の男性プリキュアが登場し、さらに同年では全員が男性の舞台作品「Dancing☆Starプリキュア」が発表された。
これはどちらも議論を呼んでいたし、特に後者については強い否定の声も多かったのを記憶している人は多いだろう。

さて、シリーズ第一作目である「ふたりはプリキュア」のコンセプトが「女の子だって暴れたい」だったのは有名な話だろう。
これは誰のためのメッセージなのか。
言うまでもない。暴れたい女の子のためだ。

「戦う女の子」が登場する作品そのものは当時の時代でもそれほど珍しくはなかったが、多くは不思議な力で戦う「魔法少女もの」だった。
徒手空拳で戦う女性キャラクターもいると言えばいたが、そういうのは大概いかにも勇ましくて「男なんかには負けないよ!」とでも言うような武道家タイプばかりだった。
ヒラヒラ、キラキラした衣装を着て、それでいて殴る蹴るの肉弾戦で力強く戦う。
そんなプリキュアという存在は「強く・カッコよくなりたいけど、可愛い女の子でもありたい」なんて欲張りな女の子にとって革命的な存在だっただろう。俺も欲張りな女の子なのでよく分かる。

そんな「欲張りな女の子のための作品」の中に男性戦士を出せば、従来のファンから反発を買うのは当然だろう。
言ってみれば女性専用車両の中に男性専用席を作るような行為だ。

ここで出てくるのが「多様性」というやつだ。
つまりプリキュアとは女の子のためだけの存在ではない。男の子だってプリキュアになっていい。そんなメッセージが込められている……はずなんだが。
そこで問題になるのが先述の「Dancing☆Starプリキュア」だ。

本作は男子高校生がプリキュアとしてダンスで戦う作品だが、この作品にはどんなメッセージがある?
「男の子だって踊りたい」か?
そんなわけないだろ。歌って踊る男性アイドルなんて昔から当たり前に存在しているし、今更誰も否定的な目なんて向けていない
そもそも公式サイトで確認できるキャラクターデザインを見ると明らかに女性の大きいお友達向けのそれだ。
女性向け作品において男性が歌って踊る作品なんて珍しくもない……どころかド定番もいいところだ。
何も珍しくない。誰に対するメッセージにもなっていない。
何のために、わざわざ「プリキュア」の名を使ってこんな作品を作る必要があった?

で、これについては後で調べたら答えが出た。

「実は前々から舞台をやりたいとは思っていました。子供が集まるキャラクターのステージはありますが、大人が集まれる場所、ターミナルになるような場所を作りたかった。小さい頃、プリキュアを見ていて、応援してくださった方たちが大人になり、その方たちが集まれる場所とは?と考えていました。(後略)

(上の記事)

つまり、最初から「元プリキュア視聴者の、大きいお友達の女性」をターゲットにしていたわけだ。
そりゃあ男性に対するメッセージ性なんてあるわけもない。

同記事では「既存の概念を破壊するのがプリキュアらしさ」だとか、「これまでで最大の挑戦かもしれません」と言うプロデューサーの発言が掲載されているわけだが。
これが何の挑戦なんだろうな。プリキュアのネームバリューを使って手軽に2.5次元オタクを釣る挑戦か?
それが「女の子だって暴れたい」のテーマをブッ壊してまでやることだったのか?
俺は今まさに暴れ出したいね。ガルルルル!!

わんだふるぷりきゅあ

そして最新作、わんだふるぷりきゅあだ。
本作では犬がプリキュアになると明かされて話題を呼んでいたが、これに対する俺の感想は言うまでもないだろう。

犬がプリキュアになったから何なんだ?

犬と言えば動物の中でもトップクラスに人間に愛されている存在だ。
その犬がプリキュアになったとして、「おかしい、やめろ」と言う人が、果たしてどれだけ存在したのか。
被差別階級ではない、むしろ絶対的な強者の側である存在が主要人物として登場したとして、それは「多様性」を主張するものではない。
黒人たちのチームから黒人を一人外し、代わりに白人を入れたとして、「人種が増えて多様性が増した」と肯定的な意見を言う奴がどれだけ存在する?むしろ黒人差別だと言われるのがオチだろう。

犬がプリキュアになったとして、果たしてそれが誰に何を伝えられる?
もしも俺が知らないだけで、令和の社会では多くの犬たちが「プリキュアになりたい」と願っては心無い人間たちから「犬なんかがプリキュアになれるわけないだろ!気持ち悪い!」と否定されていたのなら申し訳ないが、とりあえず俺が知る限りではそんな事例はない。
そもそもおもちゃの販促アニメであるプリキュアが、経済力の無い犬をターゲット層にするわけがない。
つまり「犬がプリキュアになる」なんてことは、多様性を謳うメッセージとして何の意味もないし、犬に対するメッセージにもならないわけだ。

まあ、あるいは「犬畜生ごときの下等生物ですらプリキュアになれると知ったら、人間としては底辺な自分でも大丈夫だと勇気が湧いてきました!」みたいな人は生まれるかもしれないが。
それは普通に差別だろ。

ところで本作の正式名称は全てひらがなで「わんだふるぷりきゅあ!」だが、真っ先に情報を出した東映アニメーション公式が使用していたハッシュタグは「#わんだふるぷりきゅあ #わんプリ」だった。
これに倣ってか、続いて情報を掲載したニュース記事のツイートでも「#わんプリ」が使われていた。
そのくせ、その後プリキュア関連の公式アカウントや、アニメの公式ホームページ上での略称は一貫して全てひらがなの「わんぷり」であり、ハッシュタグも「#わんぷり」が使われている。

こんな事態が発生したせいで、現在のTwitterでは「#わんプリ」を使う人、「#わんぷり」を使う人、どちらのタグも信用ならないので「 #わんだふるぷりきゅあ #precure #わんぷり #わんプリ」と片っ端からタグを入れる人が混在しており、見事にタグの分裂と煩雑化を招いている
これが伝達ミスだったのか、それとも紛らわしいから変更しようと後で決まったのかは定かではないが、20年以上も続いているコンテンツでこんな問題が発生したのは流石にどうかと思う。

そして本作について目に付く点だが、元々「女の子だって暴れたい」がコンセプトのシリーズだったのに、本作では「みんな なかよし!」と争いを否定するようなキャッチコピーなのがまず理解に苦しむ。
親の世代から「女の子はお淑やかにしなさい、乱暴なことはダメよ」と圧をかけられ、鬱憤が溜まっている女の子に「うるせえ!悪いヤツをブッ飛ばしてスッキリするんじゃ!」と伝えるのがプリキュアだったんじゃないのか?
それが今ではタイトルの「プリキュア」までひらがなにして、決めポーズも「猫ポーズ」みたいな可愛さアピールをして(犬だから犬ポーズか?まあ似たようなもんだろ)、そして伝えるのが「みんな仲良し」か。
いかにも大人の目線から「子供は子供らしく可愛いことをやっていなさい、暴れたりしちゃダメよ」と教育してくださっている臭いしかしねえよ。
公式ホームページで「動物の写真募集」とかいう、もはやヒーローと一切関係のない企画をやっているのを見ると涙が出てくる。

それに本作の予告映像では、「敵」らしき存在について「心がガルガル~ってしてる動物」と表現していたが、この子供騙し感は何だろうな。
デパプリでブンブンドルドルとか言い出した時にも文句を言った覚えがあるが、プリキュアってもっと普通にカッコいい決め台詞なんかを出してくる作品じゃなかったのか?
スマイルプリキュアの「世界よ!最悪の結末、バッドエンドに染まれ!白紙の未来を黒く塗りつぶすのだ!」とか、ドキドキプリキュアの「暴れろ、お前の心の闇を解き放て!」なんて悪役の台詞は大人が聞いても普通にカッコいいと思える台詞だった。
それが、何をどうしたらブンブンドルドルとかガルガルとか言い始めるんだよ。

一応プリキュアの本来のターゲット層は小学校にすら入っていないような幼児層のはずなので、多分そこを狙ったんだろうと思うが。
5歳、6歳くらいの子供と言うと、もう小・中学生の文化に興味を持ち始めている頃だろう。
このくらいの子供に、「ほら、ブーブーだよ!かっこいいね!」とでも言おうものなら、「クルマ!」と半ギレで言われるはずだ。俺は言っていた。
実年齢以上に子供扱いされると「そこまでガキじゃねえよ」と腹を立てる。そのぐらいの意識は持ち始めている年齢のはずだ。
そんな子供にとって、明らかに「子供のために可愛い言い方をしていますよ」感のある台詞と、「大人の世界」が垣間見えるようなストレートにカッコいい台詞、どちらが魅力的に映るだろうか。

まあ、これは子供にアンケートを取ったりしたわけじゃないから実際のところはどうとも言えないが。少なくとも、長らく「プリキュア」ブランドを築いてきた作品が赤ちゃん言葉みたいなセンスじゃなかったことは確かだ。
俺の5才児レベルの精神は、近年のプリキュアの赤ちゃん言葉みたいな言葉選びに対して、「赤ちゃん扱いするな!」と泣きながら暴れているよ。

何だか話が脱線してきた気がするが、あと本作、キャラクターデザインが前々作の「デリシャスパーティプリキュア」と丸被りで新鮮さが全く無いんだよ
これについては本当にただのマイナスポイントでしかない。何故こうなったんだ?
まあ、放送が始まってすらいない作品にこれ以上言っても仕方がないので、この辺りで本作への言及は現時点では一旦終わろう。

とにかく、事前の印象は最悪ってわけだ。

弱者 黄瀬やよい

種族や性的嗜好に限らず、社会的弱者なんてものはいくらでも存在する。
個人的にプリキュア作品で最大の「弱者」は、「スマイルプリキュア!」に登場するキュアピースこと黄瀬やよいだ。

こいつは勉強も運動もできない。
精神的にもお子ちゃまで、都合が悪くなるとすぐ泣く。
失敗したときには言い訳ばかり口にするくせに、成功すると調子に乗る。
そんな調子なので、クラスでの扱いも良く言えば弄られキャラ、悪く言えばいじめられっ子に片足くらいは突っ込んでいる状態だ。
それに女児向けアニメでは非常に珍しく、家庭環境も恵まれているとは言えない様子が明確に描かれている。

彼女はヒーローやスーパーロボットなどが好きな典型的オタクだが、好きなロボット作品のファンブックも目を通しているのはイラスト部分くらいで、設定資料的な部分は全然読んでいなかったことが作中で晒されている。
つまりオタク知識が凄いわけでもない。

あえて彼女の得意なことを挙げるなら漫画やイラストなのだが、それも大きな賞を取るような実績があるわけではない。
校内の美化委員ポスターのコンテストでも努力賞止まりで、良くも悪くも「漫画好きな中学生」のレベルを出ていない。
プリキュアとして変身すれば何か凄い能力に開花するのかと言うと、そんな事もない。特別足手まといにならない程度に戦えてはいるが、それだけだ。

彼女は何が凄い?何も凄くない
バカでガキでザコ。金太郎飴のようにどこを切っても致命的な弱さばかり出てくるくせに、特別に優れた能力なんて何もない。
他の作品のキャラクターで例えるなら、射撃もあやとりも昼寝も苦手になった野比のび太のような人物像だ。人間のクズのような存在だな。

だが、やよいは良い子だ。

優しくて友達を大切にしているし、困っている人を助けてあげたいと思う心がある。
苦手なことを克服しようと挑戦することを忘れない頑張り屋で、本当に逃げてはいけない時には、たとえ怖くても立ち向かう勇気がある。
そして何より、一緒にいると楽しい
なら、それで十分だろう。やよいは大切な友達で、唯一無二の仲間だ

そんな様子が、スマイルプリキュアの作中では描かれていた。
昨今ありがちな「弱い子だからって差別はダメだよ!」とか、「それも素敵な個性なんだよ!」なんて露骨な説教台詞を言わせることなく。
時には面白おかしく、時にはジーンと来る良い話として。
彼女の魅力がしっかりと伝わってくる内容だった。
誰だ、やよいを人間のクズだとか言ったやつは。ブッ飛ばすぞ

大ポリコレ時代は終わるのか?

そんな、エンターテイメント性を決して損なわずに力強くメッセージも伝えることができていたはずのプリキュアが、典型的なポリコレ追従者となり3歩ぐらい後退した今日この頃だが。

先日、ディズニーのCEOが「エンターテイメントそっちのけでメッセージ性に偏り過ぎていた」と発言したという記事が話題を読んでいた。
既にこの記事中で伝わっていると思うが、俺はポリコレに対して強い否定をしている立場だ。
別に黒人や性的マイノリティが嫌いだと言いたいわけじゃない。
ポリコレの最大の問題点は「既存のシリーズ作品を乗っ取る」事と、「認めなければ古い価値観の差別主義者扱いされる」事だ。

例えば、2021年のディズニー映画に「ミラベルと魔法だらけの家」がある。
これもキャラクターデザイン等から「またポリコレか」と叩かれていたのを覚えているが、俺はこの作品に対して特に悪印象はない。
既存のシリーズを汚染したわけではないし、「嫌なら見なきゃいい」で済むからだ。
自分の好みに合わない作品だろうと、無関係な場所に存在しているだけなら否定する理由は何もない。
この作品がなければ、代わりに自分好みの作品が一つ制作されていたかもしれない……なんて事も言えなくはないが、流石にそれは無茶な難癖だろう。
その思考の行き着く先は結局「俺の好みの作品以外作るな」でしかない。そこまで言い始めたら終わりだ。

一度壊れたシリーズは、そう簡単には戻らない。
とにかく、これが問題だ。
今でもトイ・ストーリー4を許していない奴は大勢いるだろう。
ディズニーが「ポリコレの行き過ぎ」を否定した今、次作のトイ・ストーリー5は内容が改善されている可能性もある。
しかし、仮に5の内容自体が良かったとしても「アンディはボニーを信頼してウッディを渡したのに、ボニーはウッディにあっさり興味をなくした挙句紛失した」歴史が消えるわけじゃない。

俺にとってのプリキュアもそうだ。
「時代に合わせた」「多様性」などと言って既存ファンたちに余計な火種をバラ撒き、自らの手で散々シリーズを荒らし回った。
そして今、ポリコレ最大手のディズニーに梯子を外されたわけだが。
この先、また「時代に合わせた」と言って今度はポリコレを否定し始める風見鶏となるのか?
それとも、ポリコレこそプリキュアの目指すべき道だと意志を固め、このまま全員が若宮アンリになるような"究極"に向かってゆくのか?
その行く先を見届けたい気もするし、これ以上見たくない気もする。

いずれにせよ、わんプリ……わんぷりか?どっちでもいいだろ。
わんだふるぷりきゅあ、一応1話くらいは見るだろうが、それでお別れだ。
お前ごときじゃ俺は浄化できねえよ。

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