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サッカー観て 神社に行きたい。ーサガン鳥栖編

なんだか気になるサガン鳥栖。
正直、Jリーグのサポーターになっていなければ、鳥栖という地名ですら聞いたことあるような?って感じかもしれない。
けど、サガン鳥栖って名前のインパクトと響きの良さ素晴らしいよね。
シーズンも終盤になり、寂しさと共に焦りを感じつつ筆を進めるかちこです。

 まずは佐賀県について。
 北はリアス式海岸のである玄界灘、南は泥海である有明海。
佐賀平野内部は多くのクリークと呼ばれる溝渠網によって稲作地域となっています。

「佐賀」の由来は2パターンあり、
1つは日本武尊が樟の茂り栄えたのを見て「この国はさかの国と謂うべし」と仰た。「さか」が、やがて「さが」となった。
2つめは土蜘蛛(元々その土地に住んでいた人々の古代の呼び方)の大山田女おおやまだめ狭山田女さやまだめという2人の「賢女さかしめ」がいた。「さかしめ」の「さか」説。
ちなみに、この2人の賢女は巫女です。
神託によって災害を防いだりしていたようです。国の名前になるほどなので、余程、能力が高かったのでしょう。

佐賀県は律令下では「肥前国ひぜんのくに
元は肥後国ひごのくにと合わせて「火の国」でした。
火=肥となり、「肥前ひのみちのくち」と「肥後ひのみちのしり」と分かれました。

そしてホームタウン「鳥栖」
 肥前国風土記によると、応神天皇の時代に色々な鳥を飼育して献上した鳥屋(鳥飼部)があり「鳥屋郷とりやのさと」が「鳥巢とすの郷」となったそうです。
鳥をたくさん飼って育てるとか、なんだかかわいいな…。

肥前と筑後の国境近くなので、古くから交通の要衝でありました。
市内には装飾古墳である「太田古墳」があり、赤黄緑黒の4色で描かれた幾何学模様は眺めていると不思議と神秘的な気持ちになります。
この柄、是非、鳥栖さんユニフォームに…。

鳥栖市内の部落神の数は大小合わせて67社、明治~大正にかけて合祀されたものが、かなりあります。
その中でも天満宮系(天満宮と老松神社)が、31社と1番多くあります。太宰府天満宮は距離的にも近いので、影響が大きいですね。
天満宮の「天満てんまん」の由来は様々な説があり、
虚空見そらみつ」の転訛とか、仏教思想の「天魔てんま」に基づくとか、菅原道真の心が「天に満ちる」などなど。
ちなみに肥前藩主であり、佐賀の七賢人の1人、鍋島なべしま氏は、彦山権現ひこやまごんげんを崇敬していたとのこと。
鍋島氏は佐々木源氏の出で、元は「長岡」姓だったが、京から肥前に下向し、鍋島村に住んだことから「鍋島」姓を名乗るように。
佐賀市にある佐嘉さが神社の御祭神は鍋島氏です。
幕末最強の軍事力を誇ったことでも有名。
佐嘉神社の近くにある美味しい肉まん屋さんも有名みたいですね。
佐賀県内は鍋島氏の影響もあり、神紋が杏葉きょうよう紋が多いそうです。ただ、この紋は大陸由来で「杏葉」が何を象っているかは不明だそう。

姫古曽ひめこそ神社

駅前不動産スタジアムから車で7分。徒歩で30分ほど。
 姫古曽の「古曽」は「こそ」で、古代朝鮮語が元になっているそうです。
ここの神社以外にも「ヒメコソ神社」は存在していて、姫神様を祀っている神社を示しているようです。

御祭神は市杵嶋姫命、お社の中殿に祀られております。
相殿(左一殿)八幡大神(左二殿)住吉大神、(右一殿)高良大神(右二殿)菅原道真。

由緒として『肥前国風土記ひぜんのくにふどき』(735年前後成立)には、郷に山途さんと川があり、その川の西側に荒ぶる神がいて、其処を通る人の半数が殺されてしまった。
 何故なのか占うと「筑前宗像郡の珂是胡かぜこに社を祀らしめよ」と出た。
 宗像から珂是胡(おそらく著名な巫、霊能者)を呼んで、頼むと珂是胡は風に幡(旗?幣束のようなものか?)を飛ばして、それが落ちた場所に姫古曽神社を建て祀ったところ、人が殺されることはなくなった。
珂是胡の夢に機織なとが出てきたことから、織姫を祀ったそうで、姫古曽の「姫」は織姫の「姫」だったそうです。
織姫伝承は弥生時代、朝鮮から渡来してきた青銅器生産者たちの信仰と関係があるのでは?という見解もあります。

811年に宇佐八幡を勧請し、永らく「八幡宮」の名前だったようですが、現在は主祭神を市杵嶋姫命として「姫古曽神社」となっています。
市杵嶋姫は宗像三女神の一柱。土着信仰だった織姫神から刷り変わった感じですかね。
由緒に出てくる珂是胡(古)は巫なのか巫女なのか…。
「コ」とつく名前は古代は身分の高い男性に多く、5~6世紀に女性名として出てくるのですが、貴族って訳でもないので性別がわからない。

ちなみに九州北部の式内社は宗像三女神の影響も大きいと思いますが、女神が主祭神が多く母系家族制を暗示しているという説もあります。
卑弥呼のいた邪馬台国も九州説ありますし、佐賀の由来の賢女も女性ですし、女性の力も強かったのかもしれないですね。

社殿は火災にあったこともあり、再建されて新しくなってるそうです。
鳥居と鳥居の間に藤棚があって、季節の時にはさぞ綺麗でしょう。

 與止日女神社よどひめじんじゃ

姫神社シリーズ!(唐突)
スタジアムから車で30分。
脊振山せぶりやまの谷底平野を流れる嘉瀬川(川上川)の右岸に鎮座。川上峡のほぼ中心。
別称「河上神社」「淀姫神社」
創建は546年。神紋は杏葉きょうよう紋。
主祭神は「與止日女命よどひめのみこと
世田姫、淀姫とも呼ばれる女神は神功皇后の妹とされています。「豫等比咩大神」とも記されます。
北九州では神功皇后の妹君は2人とされ、玉依姫たまよりひめ(宝満大菩薩/本地)と與止日女(河上大明神)と伝承されていることが多いです。
流れる嘉瀬川も聖地とされ、殺生禁断でなまずは神様の使いとされています。
恐らく、與止日女命は川もしくは水の神様でしょう。
玉依姫も海神を父に持つ水に関連深い女神様です。
そのあたりも、宗像三女神の影響(水の神=女神)を感じるところ。
嘉瀬川の上流には淀姫淵、明神淵など祭祀遺跡らしいものがあるとか。
川上峡では端午の節句近くになると、たくさんの鯉のぼりがはためきます。
春祭りの際は観光船も運航されるようです。

https://www.sagabai.com/main.php/?cont=kanko&fid=724

境内には樹齢1400年と伝わる大楠や、夫婦杉、子宝に恵まれるというご利益の「金精さん」(陽陰物を模した男女石)。
 三の鳥居は「肥前鳥居」と呼ばれる、柱がずんぐりした鳥居です。

名物として「白玉饅頭」が有名だそうで、近くに何件かあるみたい…。日持ちがしないようなので、カフェ併設のお店でいただくのもよいですね~。

おまけ、として
與止日女神社から車で2分のところにある「巨石パーク」
名前のインパクトに惹き付けられました笑
けれど、アミューズメント感溢れる「パーク」という響きに反して、ガチガチな山道のようですし、磐座であろう本当に大きな石が点在しております。
造化大明神といわれる石は、與止日女神社の御神体、 もしくは上宮と言われており、昔昔は與止日女神社には社殿がなく、川もしくは淵が信仰対象だったのではないか?という説もあります。
與止日女神社と合わせて行きたいですね。巨石パーク。

http://yodohime.area9.jp/

おまけのおまけ。
なんだよ、2社だけかよって思われましたでしょうか…。
千栗ちりく八幡宮(「ちくり」でなく「ちりく」と読む!)や、永世神社についても調べたのですが、長くなるので、またの機会に…。

この神社シリーズは足繁く図書館に通い、せっせとノートにまとめているのですが、今回は鳥栖市のホームページに大変お世話になりました。
県史や地誌、地名の本などを参考にしておりまして、願わくば市史を読めれば、より詳しく学べる…けれど、県立図書館などに行かねば読めない。もしくは国会図書館。
と、思っていたら!!
鳥栖市のホームページにPDFで拝見出来まして、素晴らしゅうございました!
たくさん、学べてとても楽しかったです。
それでは、ございまっしゅ!!






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