見出し画像

丸善本店にて、崎陽軒「赤飯弁当」待ち。

神田小川町の歯医者さんにて定期健診。

これが、13:00~14:00。

丸ノ内線・淡路町駅から東京駅へ。

とことこ、と丸善本店を巡回に。

三階から、二階へ。

スティーブン・キングの『異能機関』、うーん、どうしよう…
後悔しそうでもあり、大当たりでもありそうだが…

それにしても、海外文学の棚面積が小さくなってないか?
そんな疑惑を持たせるような棚から、一か八かは買いかねる!

代りにpopeyeの特別編集「僕が京都で行くところ。」を購入。

これ、ちょっと、なかなかじゃないかな。


定価1680円で、情報満載。

19才のぼくは、南座の裏手の狭い下宿が嫌で、さびしくて、さびしくて、高校の同級生、大学生になっている奴、予備校に通っている奴らのねぐらに、鴨川の水に浸かっていた自転車で順繰りに泊まり歩いていた。

その頃のぼくはというと、毎日、毎日、なーんもせず、朝まで本を読みふけり、手持ちがある時は、朝六時、新京極の銭湯の朝湯につかり、七時開店の三条堺町の「イノダコーヒー本店」のミルクコーヒーを飲んで、さて、今日はどうする?と、答えなど無い問を投げかける毎日を送っていた。

そして、東京の大学が季節の休みに入る頃、
”ちょっと京都で途中下車して”、などと考える彼らを目当てに、なーんもしてないぼくは、古都に巣食う”蟻地獄”と化し、言葉巧みに、「京都のことなら、表も裏も知り尽くしてまっせぇ、とくに裏の方ね、おれにすべて任せないさい、大丈夫、安心安全だからね、楽しい京都にしようね」と、巣穴にずりずり誘い込み、同級生の財布で一夜の豪遊を企てる、まことに極悪非道な人非人でありました。

本誌に出てくる川端二条の「赤垣屋」にも、そうやって同行二人。
いまはどうか知りませんが縄のれん、あるのかなぁ、縄のれんをくぐって、能天気な若造が土間に足を踏み入れたのでありました。

左手のカウンターは、主に常連さん用。そのくらいは察しがついたのであります。

ある日、ある時、右手の小上がりが満席。日を改めようとしたら、なぜか、奥の小さな部屋へ通されて、東山にかかる月を観ながらの熱燗。

そばで白菜の浅漬けを仕込んでいるご老人夫婦に、生意気な口をきいたような記憶が、冷や汗と共によみがえります。
お二人の京言葉、やわらかなお顔に、頭の先から足のつま先まで、ゆるゆると、ときほぐされていくようで、なんとも心地よい宵でありました。

いま考えると、もの知らずで不格好な青二才、よくつまみ出されなかったこと。
ご老人夫婦が、「赤垣屋」の先々代だと知ったのは、四十過ぎてのこと。胸の奥にささる小さな棘、あとの祭り。

「丸善本店」を、14:40頃に出て、東京駅を突っ切って「大丸」地下へ。

大丸の「崎陽軒売り場」に14:30~15:00に着くように、歯医者さんでの治療を13:00に予約したのは、家人お気に入りの「赤飯弁当」が、この時間帯に搬入されるから。

売り場に着くと、まさにいま、陳列されたばかり。
「赤飯弁当、ふたつください」
あとは、京葉線に乗って帰宅するのみ。


溶き玉子のお吸物を口にして、さて、何から、やっぱり筍煮からでしょ。

美味いじゃないか。

popeyeをぱらぱら、家人、「また、京都行こうか」だって。

そうだね、法然院、赤垣屋、三条のスマート珈琲、バー・フィンランディア、・・・

加藤さん、居なくなっちゃったね。

坂崎幸之助さんの「花のかおりに」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?