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12人がリンチで殺される原因「総括」という言葉はどうやって暴走したか?『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』

『レッド 1969~1972』全8巻の続編で、連合赤軍の山岳ベースでのリンチ殺人からあさま山荘事件までを描いたのが山本直樹『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』である。

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この1巻では、山岳ベースでの2人目の被害者、高千穂(進藤隆三郎)と3人目の被害者、薬師(小嶋和子)が亡くなる様子と、黒部一郎(加藤能敬)と天城(遠山美枝子)がリンチにかけられる様子が描かれている。当然のことながら、前作に続き、詳細に資料にもとづいて全ての場面が再現されている。そこには目を背けたくなるリアリティがある。

※人物名の表記は キャラクター名(モデルとなった人物名)としている。以下同様。

◯12人の命を奪った「総括」と「共産主義化」という言葉

山岳ベースでの連合赤軍のリンチ殺人は、12名もの人の命を奪うことになる。著者の山本直樹はその理由についてこう述べている。

戦争末期の日本軍もオウムもそうだったと思うんですが、あれは「共産主義化」という誰も理解しきれていない言葉が独り歩きし、肉体という実感をなくすから、人が人を殺すことになったんじゃないか
山本直樹の発言 朝山実『アフター・ザ・レッド』より

こうして、12人の命を奪うことになった「総括」という言葉、そして「共産主義化」という言葉について、物語のなかでは説明されることがない。説明されることがないから読みながら考えるしかないが、これを考える余裕が無いほど暴力の場面が連続し、読み手さえも死の恐怖と直面させられる。読みながら自分がリンチ殺人に参加するかしないか、参加しなければ自分が殺されるのではないかという同調圧力にさらされる。読み手に考えることを強いてくる。

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山本直樹『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』1巻より(11P)

この場面のように、連合赤軍の幹部もメンバーも「総括」や「共産主義化」という言葉を使うのだが、山本直樹が言うように、北(森恒夫)が使い始めたこの言葉について、理解していた人はいなかったし、その意味について議論をすることも出来なかった。後の生存者が書いた手記では、これらの言葉の意味がわかっていなかったという告白が相次ぐことになる。

実は森は、事件の後、獄中で自己批判書を書いて自殺するのだが、その自己批判書のなかに「総括」の言葉の意味について語った部分がある。

批判や追求に対して、ただそれを事実として認めることが総括の意味ではなく、事実を事実として素直に認めた上で、それが革命戦士になろうとする自分にとってどういう問題なのかを把みとり、そうした問題を止揚する方法、方向性、決意を確立する事が大切である事、逆に云えば、革命戦士になろうとする決意や方向性、方法を獲得していけば自分の問題とされる過去、現在の問題も素直に止揚された経験として提起できるし、そうでないと云う事は未だ問題解決ー共産主義的な自己変革の方向性を獲得していないと判断すべきであるという事で討論を進めた。(太線による強調は引用者)

森恒夫『銃撃戦と粛清 森恒夫 自己批判書全文』

当時の左翼の文章らしく、一文がかなり長く、読みにくいが、事実を認めること以上に、「決意」について重要視していることがわかる。「決意」という目に見えないものを評価の基準に使えば、その評価に恣意性を入り込ませるのは簡単だ。これはリンチを森恒夫が自由自在に行える「魔法の杖」になる。

一方で、「共産主義化」については自明のこととしていたのだろうか。森の書籍には明確にその定義が書かれていない。これは物語では谷川とされている坂口弘が、森の自己批判書を読んで解説している文章がある。

森君の共産主義化の基本イメージは、軍事的能動性と攻撃性の獲得である。各メンバーがそれぞれ自分を総括してこれを獲得することが、総括による共産主義化である。

坂口弘『続あさま山荘1972』

しかし、この解釈は1995年になって出版された坂口の著書のなかで、坂口が森の自己批判書を読み込んで行ったものである。関係者であっても、これほどの時間と労力をかけて理解しなければならなかったのが「共産主義化」という言葉である。そうした言葉が、容赦なく人間を殺していく様子が、マンガのなかで描かれていく。

◯加害者が被害者になる悲劇

このマンガのあまりにもリアルすぎる点はもうひとつある。山岳ベースでのリンチ殺人された12人は、最初から被害者として狙われていたわけではない。後半に被害者になる人たちは前半で犠牲になった人たちのリンチ殺人に参加していた。北(森恒夫)や赤城(永田洋子)などの幹部に強制され、自分の身を守るために仕方がない部分があったことは事実だが、実行犯になってしまった十字架を背負うことで、ますます悪循環に陥っていく姿がマンガのなかでも描かれていく。

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山本直樹『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』1巻より(42P)

このように、5番:高千穂(進藤)をリンチする場面で、その後に自分たちもリンチにかけられて殺される8番:天城(遠山)、9番:磐梯(行方)、12番:苗場(山本)が加害者でもあったことがわかる。番号でその後の運命がわかるだけにリアルな状況描写が、悲劇に変換されて読み手に迫ってくる。

もうすぐ平成も終わり、「昭和も遠くなりにけり」と歴史をふり返るとき、連合赤軍の起こした事件は避けて通れないと思う。過激派の起こした、自分とは無縁の事件ではない。ごく普通の、真面目で、社会正義のことを深く考えて人たちこそが深く関わってしまったことを思い、自分ならどうしただろうか考えてみて欲しい。人間一般の問題として「言葉と組織」について考えるきっかけになるマンガだと思う。

また、『レッド 1969~1972』全8巻を読まれてない方は、こちらのレビューをどうぞ。物語全体を通して15人が死ななければならなかった理由について書いている。

レッドの最終シリーズ『あさま山荘の10日間』が5月に完結し、単行本が8月に発売予定とのことなので、『レッド 1969~1972』全8巻と『レッド 最後の60日 そしてあさま山荘へ』全4巻を復習して待とうと思う。

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死刑確定後に書かれ、自己弁護的な記述は少なく、もっとも事実を客観的に語っている印象。(上)(下)(続)とあるが山岳ベースでのリンチ殺人についてはこの(続)に。

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