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「ひとつの本屋で起きたこと。」を読んで考えた

この話題の立教大学の本屋は世の中の新刊書店と比べると、「珍しい本」が売れる店だったろうと思う。普通のマチカドにある新刊書店で売れる本には基本的にパレートの法則がきれいに当てはまっている。ベストセラーの新刊で大部分の売上を取るということだ。一方で、大学の生協に入っている書店では、学部の教科書が売れるし、人気のある教授の本も売れるし、会計士や弁護士試験の教科書的な本も、通常の新刊書店より売れるだろう。

ただ、そうした情報は、教授陣や学生にネットワークのある現場の従業員が、顧客に丁寧に対応することで獲得する場合がほとんどである。そういう情報を共有して、52週に渡って、セブンイレブンのように単品で売り込みができる売り場を作り続けることは、本部が邪魔するような環境では、なかなかに難しかったのだろう。

この話を読んで思い出したのが、2000年代の前半に上場したトップカルチャーという書店を中心としたグループ会社の清水社長が「書店は粗利が一定の業態だから、販管費をどう削減するかに知恵を使うんです」という話だ。上場の直後に、幻冬舎の営業局長と話を聞いたような気がする。書店の販管費といえば、ほとんど家賃と人件費だから、業務の行動観察から効率化する「小売の現場でのトヨタ式改善」みたいな話として聞いた。

もちろん返本を減らすための発注精度の話も含まれていた。清水社長は「ひらせいホームセンター」という300億近く売る小売業の創業家のご出身だ。なので、自主企画のプライベートブランドや売れ残りの値引き処分など、小売に許された全ての手段を知った上で、書店という特殊な小売業の「打ち手」の少なさをお話されていたのだろう。

販管費のコントロールしか戦略的自由度がないとすれば、業界全体の規模が小さくなれば、非効率なプレイヤーを退場させ、売り場面積を拡大しながらの販管費の効率化に走らざるを得ないわけで、1996年からの業界縮小のなかで起きた現象はこれに尽きると言っていいだろう。

一方でヴィレッジヴァンガードの菊池社長の話もちょうど同じ頃に聞いた。「粗利はいじれない」という書店の経営の常識をひっくりかえして、粗利益率を、本と雑貨のクロスセリングで上げてしまった。本というのは、グーグルの検索履歴と一緒で、本を買う人の関心領域のまわりに購入可能性の高い関連雑貨を配置してセット率をあげることができる。

トップカルチャーはTSUTAYAのメガフランチャイジーとして、書籍のあまりの市場縮小に対応するため、タリーズコーヒーなどに業態を拡げていき、ヴィレヴァンは在庫を回すのが苦手で、いつも資金繰りに困っていたので、粗利の高い商材を本から雑貨に広げていったのだろう(棚卸資産の回転数は今もかなり低いのだが)。

ここで人材の話になるのだが、トップカルチャー型の効率化を求める企業は、人材の特殊性が邪魔になる。どこの店舗に行っても、データを見て、効率的なワークフローを回し続けることが必要だ。人は交換可能なピースのひとつになる。

一方、ヴィレヴァン型の書店になるためには「人材の違い」こそが全てになる。限られた店舗面積を、どういう分野の学問にフォーカスして棚を作り上げるかは、深く教授と学生に食い込んでいる従業員にしかできない判断だ。そうしながら棚当たりの生産性をウォッチしていけばいい。

だから、この立教大学の生協の書店は「若い人を入れて店を変える」というのは、面積が減って、棚あたりの売上を上げないといけない場面でまったく逆をやってしまった事例といってもいい。実際、今どうなってんだろう?




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