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作家・門田隆将(門脇護)のモラルハザードを問う 第1回

■映画「Fukushima50」の原作者が著作権侵害訴訟で出版差し止め!?

作家・門田隆将氏(かどた・りゅうしょう/本名=門脇護〈かどわきまもる〉)といえば、10万部超えのベストセラーを連発する人気作家として有名です。新型コロナウイルスのパンデミックについて緊急出版したノンフィクション『疫病2020』(2020年6月刊行、産経新聞出版)は、最近ベストセラーになりました。門田氏の顔を、大きな新聞広告で目にした人も多いのではないでしょうか。

2012年には、福島第一原子力発電所の事故について書いた『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(2012年11月刊行、PHP研究所)を出版して話題になりました。この本は「Fukushima50」として映画化もされています(2020年3月公開)。渡辺謙や佐藤浩市、吉岡秀隆や緒形直人など豪華キャストを揃えた大型作品です。2021年の日本アカデミー賞では、12部門でズラリと優秀賞を受賞しています。

また門田隆将氏は、出版業界で最も権威のある「大宅(おおや)壮一ノンフィクション賞」に、これまで合計4回ノミネートされてきました。いずれも受賞は逃したものの、今後もノミネートされたり受賞に輝くことはありうるでしょう。

▼2009年『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』(新潮社)

▼2010年『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)

▼2013年『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)

▼2015年「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」(「週刊ポスト」2014年6月20日号/※この年は雑誌部門でノミネート)

門田隆将氏は、プロ野球界で最も栄誉ある「正力(しょうりき)松太郎賞」の選考委員も務めています。選考委員は王貞治(ソフトバンク会長)、杉下茂(元・中日監督)、中西太(元・阪神監督)、山本浩二(元・広島監督)と球界の重鎮がズラッと居並び、その中になぜか外様(とざま)の門田氏が混じりこんでいます。ちなみに直近の正力賞は、2018〜2020年と3年連続でソフトバンクの工藤公康監督が受賞しました。

門田氏は保守派の論客として大活躍しており、櫻井よしこ氏、百田尚樹氏らとともに「DHCテレビ」「虎ノ門ニュース」「言論テレビ」といった右派のネット番組にも頻繁に出演しています。

2019年4月にトランプ大統領が安倍首相と一緒に大相撲を観に来たときには、門田氏や櫻井よしこ氏、金美齢氏らがマス席に陣取り、大はしゃぎでトランプと握手したシーンも印象的でした。

さて、そんな流行作家が過去に盗用・剽窃(ひょうせつ)、要するにパクリを告発する著作権侵害訴訟を起こされ、東京地裁・東京高裁・最高裁で連続敗訴したことをご存知でしょうか。問題となったのは、門田氏が2010年8月に出版したノンフィクション作品『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』(集英社)です。1985年8月、群馬県の御巣鷹(おすたか)山にJALのジャンボジェット機が墜落し、乗客・乗員520人が死亡しました。『風にそよぐ墓標』はこの事故について綴(つづ)ったノンフィクション作品です。

本書の取材協力者の一人である事故遺族・池田知加恵さんは、自身の著作『雪解けの尾根』(ほおずき書籍、2008年9月刊行の第3刷)から26カ所もの盗用があると主張し、2011年10月に門田氏と集英社を東京地裁に提訴しました。

▼一審(東京地方裁判所)判決(2013年3月)
 ↓  ↓
池田さんの勝訴(26件のうち17件を「複製」または「翻案」と認定)

▼二審(東京高等裁判所)判決(2013年9月)
 ↓  ↓
池田さんの勝訴(14件を「複製」または「翻案」と認定)

2015年5月に最高裁が上告を棄却し、門田隆将『風にそよぐ墓標』の出版差し止めと約58万円の支払いを命じる判決が確定しています。

判決が出るたびに新聞記事でいくらか報道されはしたものの、門田隆将氏がいったいどのように他人の作品を引き写したのか、具体的には知らない人がほとんどだと思います。そこで裁判で争点になった盗用疑惑を一覧にまとめてみました。「これは似ている!」とビックリする箇所は、太字で強調処理をしています。

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(1)〜(7)

◆門田隆将氏の疑惑 その1

【池田知加恵『雪解けの尾根』】17ページ
 バスは満席だったが、だれ一人しゃべる者もなく静まり返っていた。(略)室内灯を消してみたが、
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】130〜131ページ
 室内灯が消されたバスの中は不気味なほど静かだった。満席なのに、誰一人しゃべる者もいない。

◆門田隆将氏の疑惑 その2

【池田知加恵『雪解けの尾根』】17ページ
 朝、元気に家を出た人間が、その夕刻に死ぬなんて、私にはどう考えても信じられない。悪夢でも見ているのではないか、そうであってほしいと思った。今まで、夫のいない生活を考えたこともなかった。これから一人になって、どんな楽しみがあるのだろうと思ったら、涙が止めどなく溢れて仕方がなかった。私は、周囲に気づかれないように涙をそっとふいた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】131ページ
 朝元気に家を出ていった夫が、その夕刻に死ぬなんて、知加恵にはどうしても信じられなかった。これは悪夢に違いない。そう何度も思おうとしていた。夫のいない生活など考えたこともない。これから一人になって、自分は何を頼りに生きていけばいいのだろうか。
 考えれば考えるほど、止めどもなく涙が溢れてきた。周囲に悟られまいと、知加恵は何度もハンカチで涙を拭った。

「その2」は門田氏の単行本だと5行にわたる一文ですが、その5行が最初から最後まで丸々ソックリでビックリします。「私」という一人称を「知加恵」という固有名詞に置き換えただけであって、リライトした痕跡はほとんど見当たりません。

◆門田隆将氏の疑惑 その3

【池田知加恵『雪解けの尾根』】18ページ
 バスは何度もサービスエリアで停車し、そのたびに公衆電話には長い列ができる。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】131ページ
 バスはサービスエリアで幾度も停車し、そのたびに乗客は公衆電話の前に並んだ。

◆門田隆将氏の疑惑 その4

【池田知加恵『雪解けの尾根』】155ページ
 大きなカメラを担いで近づいてきた人たちの姿が目に入った。なんて嫌なことをするのだろう、と思いながら見るうちに、カメラに書かれたテレビ局の社名が目に入った。驚いたことに、それは息子の勤務するテレビ局のクルーだったのである。
 私は、あることを考えついてバスを降りた。(略)
「私は、あなた方と同じ局に勤務する者の母親で、父親が日航機に乗って遭難したらしいのです。なんとかあなたの車に乗せてもらえませんか。少しでも早く現場に行きたいのです」
 すると(略)若い男性が、ぴょこんと頭を下げ、
「ぼくは,池田と同期で、お父さんのことを聞いてます」
 と、いかにも気の毒そうな顔をして言った。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】131〜132ページ
 大きなカメラを担いだテレビクルーが乗客の顔を撮ろうとバスに近づいて来た。なんていやなことをするんだろう、と思った知加恵の目にカメラにつけられたテレビ局のネームが入った。そこには息子が勤める「読売テレビ」の社名が書かれていた。
 息子の会社だ、と思った知加恵は、ふとあることを思いつき、バスを降りてそのクルーに自分から近づいていった。
「あのう、息子があなたたちの会社に勤めています。池田と言います。少しでも早く現場に行きたいので、あなた方の車に乗せてもらえませんか」
 スタッフに向かって、知加恵はそう声をかけたのだ。その時、後ろから、
「僕は池田の同期です。お父さんのこと、聞いています」
 そう声を挙げた若者がいた。

◆門田隆将氏の疑惑 その5

【池田知加恵『雪解けの尾根』】19ページ
 みなさすがに不安と疲労の色濃く、敗残兵のようにバスから降り立った。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】134ページ
 不安と疲労のために、家族たちは〝敗残兵〟のようにバスから降り立った。

「その5」は「敗残兵」という独特な表現を含め、短い文章が瓜二つです。門田氏の本では〝敗残兵〟とダブルクォーテーションのマークがついていますが、このマークを見ただけでは、池田さんの著作から門田氏がテキストを引用していることはまるでわかりません。

◆門田隆将氏の疑惑 その6

【池田知加恵『雪解けの尾根』】20ページ
 日航側の家族受け入れ態勢はこの時まだ不備を極め、あちこち市内をひっぱり回された家族と日航の間はさらに険悪になった。中には、いらだちが高じ日航の社員の胸を足げにする人もいて、本当に恐ろしかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】135ページ
 しかし、まだ日航の受け入れ体制は整っておらず、引っぱりまわされた家族は、日航の職員に罵声を浴びせた。いらいらして日航の社員の胸ぐらを摑む人や、なかには、実際に胸を蹴り飛ばす人もいた。

◆門田隆将氏の疑惑 その7

【池田知加恵『雪解けの尾根』】20~21ページ
 私は若い警官の前に腰かけた。
「ご主人の事故当日の服装、所持品、肉体的特徴についてくわしく話して下さい」
 と聞かれたが、背広の色さえ記憶していなかった。若いころから着替えは自分でしなければ気のすまない人だったし、空港までの車中も助手席の夫と顔を合わすことがなく、前日自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。覚えていたのはニナリッチのカフスボタン、朝磨いてそろえた靴の色くらいである。身体的特徴については次のように説明した。人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多く、ヘアトニックをたくさんつける習慣のあること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】136ページ
 聴取を担当したのは、若い警官だった。
「事故当日の服装、所持品、肉体的特徴を詳しくお話し下さい」
 二人は、警官からそう尋ねられた。典正には、ほとんどわからない。しかし、知加恵も、あまり答えられなかった。
 知加恵は、いざ聴かれると隆美が着ていった背広の色さえ記憶していなかった。若い頃から着替えなど、準備は自分一人でやってしまう夫だった。十二日の朝、空港へ送る車中でも助手席の夫とは横向きの位置関係にあり、前日に自分で買ったと言っていたネクタイの柄もよく見ていなかった。知加恵が覚えていたのは、わずかにニナリッチのカフスボタンとタイピン、あとは、朝、磨いて出した黒靴の型くらいのものだ。
 身体的特徴も人並み以上に頭が大きいこと、髪の毛が多くてヘアトニックをたくさんつける習慣があること、色白だが、このところゴルフ焼けをしていること、足の水虫のことなど

東京地方裁判所の判決では、「その7」について次のように結論づけています。

〈事実に加え,原告(※池田さん)が抱いた困惑や後悔の感情を創作的に表現したもの〉
〈感情の形容,強調方法や言い回しにおいて,原告の個性ないし独自性が表れていることが明らかである。〉
〈被告(※門田氏)第7記述は,原告(※池田さん)第7記述を複製又は翻案したものということができる。〉

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(8)〜(14)

◆門田隆将氏の疑惑 その8

【池田知加恵『雪解けの尾根』】21ページ
 家族は、アイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられた。私たちの第二小学校は市内の繁華街から西北にあった。体育館は、折からのひどい暑さの中に立錐の余地もないほどの人いきれで、まるで蒸しぶろのようである。昨晩から着ていたブルーのTシャツも汗まみれであったが、この際なりふりなど構っていられなかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】137ページ
 乗客の家族は、姓名のアイウエオ順で数か所の市内の小中学校の体育館に分散、待機させられていた。市の繁華街からやや西北に位置する藤岡第二小学校で知加恵たちは待機した。
 体育館は折からの酷暑で、まるでむし風呂だった。知加恵が前夜から着つづけている洋服も汗まみれだったが、仕方なかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その9

【池田知加恵『雪解けの尾根』】21~22ページ
 館内には日航が用意した新聞がたくさん積まれてあり、どれも第一面に単独機として史上最悪の事故という大きな見出しがのっていた。犠牲者の顔写真の中には、もちろん夫の生き生きした顔もあった。そしてテレビには、あの生存者の劇的な救出場面が何回となく写し出されたが、見ようとする人は少なかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】137ページ
 館内には日航の用意した新聞がたくさん積まれていた。
(略)
 新聞の第一面には、単独機として世界最大の事故であることが特大の文字と共に報じられていた。犠牲者の顔写真の中には、夫の池田隆美の顔も載っていた。
 館内に置かれたテレビでは、生存者の劇的な救出場面が何度となく映し出されたが、誰も見ようとする者はいなかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その10

【池田知加恵『雪解けの尾根』】22ページ
 さて、この日夕刻、三浦半島沖合で一二三便の垂直尾翼が見つかっている。同機は昭和五十三年六月二日大阪空港で着陸の際、しりもち事故を起こしたとのこと、事故は人災のようだった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】137ページ
 その日の夕刻、三浦半島沖合で事故機の脱落した垂直尾翼が発見された。そして同機は七年前の昭和五十三年六月、伊丹空港で着陸の際、尻もち事故を起こしていることも明らかになった。
 事故は「人災」の様相を呈してきた。

◆門田隆将氏の疑惑 その11

【池田知加恵『雪解けの尾根』】24ページ
 看護婦にも出会ったが、着衣が日常見慣れた白衣ではなく、国防色のユニホームなのが、異様であり戦争を連想させた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】138ページ
 看護婦たちは、白衣ではなく、(略)
「まるで戦争……」

◆門田隆将氏の疑惑 その12

【池田知加恵『雪解けの尾根』】26ページ
 この日午前十時七分、最初の遺体が到着している。山で収容された遺体は毛布に包まれ、尾根の頂上にある第一ヘリポートまで運び上げられ、そこからヘリコプターで五〇キロほど離れたここ藤岡の第一小学校校庭に降ろされる。遺体はすぐ柩(ひつぎ)に納められ、藤岡市民体育館で検視が行われる。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】138〜139ページ
 山で収容された遺体は毛布に包まれ、尾根の頂上にある臨時のヘリポートまで運び上げられる。そこからヘリコプターで五十㌔ほど離れた藤岡第一小学校の校庭に下ろされるのである。
 遺体はここで棺に納められて、検視がおこなわれる藤岡市民体育館に運び込まれるのだ。
 最初の遺体が到着したのは、午前十時過ぎだ。

◆門田隆将氏の疑惑 その13

【池田知加恵『雪解けの尾根』】26~27ページ
 その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで確認できた遺体は、家族が呼び出されることになったので、家族は戦々恐々として呼び出しを待っていた。呼び出しは、死を確認することであった。私たちは、なるべく呼び出されないようにと生への望みを少しでもつないでおきたかった。
 そのうち、館のステージの横に一二三便の乗客の座席が張り出された。私は、この時初めて夫が前から五番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知り、もはや生きている可能性は絶望に近いと確信した。なぜなら、機体は右に傾きながら前方から山に激突していたからである。相撲の星取表のようなこの表は、遺体が確認されるたびに黄色に塗りつぶされていった。それも遺体の損傷の少ない後部座席から始まり、夫のいた前方はいつまでも空白が残っていた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】139〜140ページ
 その場で着衣のネーム、所持品のカード、免許証などで身元が特定されていった。確認できた遺体に対しては、家族が呼び出される。
 家族は戦々恐々として呼び出しを待った。呼び出しがあるというのは、「死」を確認することを意味するからである。遺体搬送が始まったこの日、家族は呼び出しがないこと、すなわち「生」への望みを少しでもつなぎとめようとしていた。
 知加恵と典正のいる藤岡第二小学校体育館のステージ横には乗客の座席表が張り出された。二人はこの時、初めて隆美が前から五番目の右側、つまりコックピットの下あたりに座っていたことを知る。それは、生きている可能性が限りなく「ゼロに近い」とことを物語っていた。機体は右に傾き、前方から山に激突していることが、すでに明らかになっていた。
 この後、この表は相撲の星取表のように、遺体が確認されるたびに、黄色に塗りつぶされていった。しかし、塗りつぶされるのは、後部座席から始まって、隆美のいた前方はいつまでも空白が残った。

単行本で12行にわたる長い一節が、ほとんどコピー&ペイスト状態です。JAL墜落事故では、520人もの人々が無残に亡くなりました。真夏の蒸し暑い中、ただでさえ激しく傷んだ遺体が、1分1秒と時間が過ぎるにしたがってどんどん腐敗していく。その戦場のような現場で遺体の身元が確認されていく様子を、事故遺族の池田さんは「相撲の星取表」という独特の表現で記しました。池田さんが命を削ってひねり出した「相撲の星取表」という表現も、門田氏はシレッとそのまま引き写しています。

東京地方裁判所の判決では、「その13」についてこう結論づけました。

〈家族や原告が抱いた恐怖や期待,絶望,不安の感情を創作的に表現したもの〉
〈感情の形容,強調方法や言い回しにおいて,原告の個性ないし独自性が表れていることが明らかである。〉

◆門田隆将氏の疑惑 その14

【池田知加恵『雪解けの尾根』】24~25ページ
 午後、作業衣と長靴をつけた山下徳夫運輸大臣と、そして黒服を着用した高木養根日航社長が体育館に見舞いに来られた。申し訳ない、と詫びる言葉が空々しく、別の世界の話に聞こえてならなかった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】140ページ
 午後、作業衣と長靴姿の山下徳夫運輸大臣と、黒服の高木養根日航社長が体育館に見舞いに来た。
(略)「申し訳ありません」と、詫びる言葉が空々しく、知加恵にはどこかほかの世界の話のように聞こえた。

〈別の世界〉を〈ほかの世界〉に書き換えていたりしますが、〈空々しく〉という表現はそのままです。門田隆将氏という人物は、なんとも空々しい作家ですね。

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(15)〜(21)

◆門田隆将氏の疑惑 その15

【池田知加恵『雪解けの尾根』】26ページ
 一刻も早く肉親の安否を知りたいと念じる家族の不安と怒りは頂点に達し、日航の幹部を容赦なく罵倒し、高木社長の顔に水を浴びせる人もいた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】140ページ
 一刻も早く身内の安否を知りたいと思う家族は、日航の幹部を容赦なく罵倒し、その中の一人は高木社長の顔に水を浴びせたりした。

◆門田隆将氏の疑惑 その16

【池田知加恵『雪解けの尾根』】29ページ
 遺体収容は、この日から比較的身元確認の容易な後部座席の分が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まったようである。ここでの遺体は、細かく分断され、その上、火災にも遭ったりしたため、無残な遺体がふえて確認が困難になってきたらしい。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】141ページ
 この日から比較的身元確認の容易な後部座席の方の遺体収容が終わり、いよいよ尾根の上の方の収容が始まった、という情報が流れた。細かく離断され、その上、火災に遭ったものが多く、より無残な遺体が増えてきたという情報である。
 いずれにしても遺体確認がいよいよ困難となっていたことは間違いなかった。

◆門田隆将氏の疑惑 その17

【池田知加恵『雪解けの尾根』】31ページ
 朝刊は、事故調査委員会が現場検証で隔壁の破裂を発見、そこから出た与圧空気が垂直尾翼を破壊し、墜落する原因になったのではないか、と事故原因を推定していた。つまり直接原因は垂直尾翼の空中分解、遠因は五十三年の大阪空港着陸時のしりもち事故による金属疲労との見方が強まったようである。事故は人災が確定的で、群馬県警は刑事責任を追及すると発表。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】141ページ
 翌十六日、新聞には、事故調査委員会が現場検証で隔壁の亀裂を発見し、そこからの空気噴出が尾翼の一部や吸気口などを吹き飛ばして墜落する原因になったのではないかという記事が躍っていた。つまり、事故原因は昭和五十三年の伊丹空港着陸時の尻もち事故による金属疲労との見方が強まってきたのだ。
「事故は人災が確定的」「群馬県警が責任を追及すると発表」

◆門田隆将氏の疑惑 その18

【池田知加恵『雪解けの尾根』】31ページ
 一方、落合さんの証言の中にも、三十分間の乗客の悲鳴、絶叫に満ちたパニックの様子が語られていた。迫り来る死を目前にした乗客の恐怖の思いを想像すると、ぞっとする。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】141ページ
 落合由美の証言で、三十分間の乗客の悲鳴とパニック状態が明らかになっている。
 迫りくる死を目前にした乗客の恐怖を想像すると、

◆門田隆将氏の疑惑 その19

【池田知加恵『雪解けの尾根』】31~32ページ
 報道によると、暑さのため腐敗による悪臭がひどく、三〇〇〇人ほどの自衛隊員たちは、防毒マスクを着けての作業だという。愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているというすさまじさ。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】141〜142ページ
 酷暑の八月である。遺体は、腐敗による悪臭がひどく、三千人に及ぶ自衛隊員たちが、防毒マスクをつけて作業をおこなっている様子がニュースに繰り返し報じられていた。
 愛する者が殺された上、人に嫌われるほど腐敗させられているという事実に、

◆門田隆将氏の疑惑 その20

【池田知加恵『雪解けの尾根』】32ページ
 警察も未確認遺体の増加に手をやき始め、遺体安置所も藤岡女子高校、藤岡工業高校の二か所とふやした。今後の遺体確認には、指紋と歯のカルテが必要だとの説明を受けた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】142ページ
 未確認遺体が増え続け、遺体安置所には藤岡女子高校、藤岡工業高校も加えられていた。
(略)遺体確認には、「指紋と歯のカルテが必要」とされていた

◆門田隆将氏の疑惑 その21

【池田知加恵『雪解けの尾根』】33ページ
 夕方、遺体捜しの息子たちが戻った。ご苦労さまと言ってお弁当を出したが、手をつけない。幕の内の中のはんぺんと焼いた鶏肉のにおいが遺体のそれとそっくりだと顔をしかめた。息子たちは、その日体験したすさまじい遺体捜しの模様を話し始めた。柩には、ちぎれた手足や内臓の塊まで入っていたこと。この世のものとは思えない陥没した頭に(略)
「どんなに苦しみもがいて死んでいったかと思うと(略)」
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】142〜143ページ
 典正は夕方、知加恵のもとに帰ってきた。知加恵は、大変だったでしょう、といって弁当を出したが、典正は手をつけない。
「幕の内弁当の中の〝はんぺん〟が遺体とそっくりの臭いがする」
 そう言ったまま何も食べなかった。
 典正はその日、目撃した棺の中に入れられていた手足や内臓、あるいは陥没遺体などのことを知加恵に語って聞かせた。
 知加恵は、犠牲者たちがどんなに苦しみもがいて死んでいったかを想像し、夫の苦しみを思って涙した。

■門田隆将著『風にそよぐ墓標』の疑惑(22)〜(26)

◆門田隆将氏の疑惑 その22-1

【池田知加恵『雪解けの尾根』】168〜171ページ
 気がつくと、藤棚の下に折りたたみ椅子がある。私は、それに腰を下ろした。目の前に暗いしじまに、たった今見てきた夫の痛ましい遺体が浮かんだ。
 その時だった。若い男がおそるおそる私に近づいてきた。
「ご家族の方ですか」
 突然かけられた言葉に我に返ったものの、身体の震えが止まらない。しかし、一瞬助かったと思った。
「そばにいてくれませんか」
 と言ったかもしれない。(略)
 とにかくだれでもいいから、しゃべり続けていたかった。(略)彼は、私が手にしていた布地が何であるかを聞いた。夫の着ていた背広の布地だった。大阪の自宅から当日の着衣と同じ布地のズボンを送ってもらい、ハサミで小さく切り分けて持ち、その布地から夫を捜し出そうとしていたのである。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】151ページ
 知加恵は、時間の感覚を失っていた。魂の抜けた人間のように、体育館の外の藤棚の下にあった椅子に腰を下ろした。すると新聞記者だという若い男が近づいてきた。
「ご遺族の方ですか?」
 その新聞記者はそう話しかけてきた。
「はい」
 知加恵には、誰でもよかった。知加恵は、その新聞記者に「怖いからそばにいてください」と頼んでいた。知加恵は、夫の身元確認のために大阪の自宅から取り寄せたズボンの切れ端を固く握りしめていた。
 知加恵は、記者の質問に答えた。この自分の思いを誰かに聞いて欲しかったのである。
(略)
 翌八月二十日の東京新聞夕刊には、〈遺族の述懐〉と題された、こんな記事が掲載された。

◆門田隆将氏の疑惑 その22-2

【池田知加恵『雪解けの尾根』】168〜171ページ
 一週間ほどたったころだった。東京に住む知り合い数人が、東京新聞の「ニュース双局線」のコラムの「遺族の述懐」と題した記事に、あなたが載っている、と切り抜きを送ってくれた。
 その記事には「飛行機はダメですよ。記者に話相手求め念をおす」との見出しで、次のように書かれていた。

 体育館の隣に藤棚がある。照り返しの強い日中は遺族や医師、警察官らが涼を求め、その木陰に集まっている。
(略)
 日が暮れて人の姿がまばらになった頃、体育館を出た女性が一人ポツンと、藤棚のベンチに腰掛けていた。ひざの上に置いた手は、淡いブルーのハンカチ大の背広地を握りしめていた。
 記者が声をかけると、こんな答えが返ってきた。
「寂しいから、しばらく一緒にいてくれませんか」
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】151〜152ページ
 見出しは〈飛行機はダメですよ。記者に話相手求め念をおす〉である。

〈体育館の隣に藤棚がある。照り返しの強い日中は遺族や医師、警察官らが涼を求め、その木陰に集まっている。(略)
 日が暮れて人の姿がまばらになった頃、体育館を出た女性が一人ポツンと、藤棚のベンチに腰掛けていた。ひざの上に置いた手は、淡いブルーのハンカチ大の背広地を握りしめていた。
 記者が声をかけると、こんな答えが返ってきた。
「寂しいから、しばらく一緒にいてくれませんか」

◆門田隆将氏の疑惑 その22-3

【池田知加恵『雪解けの尾根』】164〜165ページ
【※註/「22(2)」末尾より、東京新聞記事の引用の続き】
 犠牲者の遺体が収容されている藤岡市では、身元確認の遅れにいらだつ遺族と、話を聞き出そうと遺族を追いかける報道陣との間でトラブルが絶えない。それだけに、胸に突き刺さる一言だった。記者も腰を下ろした。
(略)
「仕事一筋の人でした。十三日の午前中は何も予定がなかったはずなのに、朝から出社しようと帰宅を急いだのでしょう。無理に夕方の飛行機に乗って事故に遭ったのは、昭和一ケタの宿命だったのかもしれません」
「夫の夢を見て、ホテルのベッドで目が覚めると、あとは悲しくて、眠れません」とも。
「毎日ここに来て夫を捜していますが、遺体といわれても、素人の目では人間に見えないようなものばかりです。体育館の中は生き地獄です」
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】152ページ
【※註/「22(2)」末尾より、東京新聞記事の引用の続き】
 犠牲者の遺体が収容されている藤岡市では、身元確認の遅れにいらだつ遺族と、話を聞き出そうと遺族を追いかける報道陣との間でトラブルが絶えない。それだけに、胸に突き刺さる一言だった。記者も腰を下ろした。(略)
「仕事一筋の人でした。十三日の午前中は何も予定がなかったはずなのに、朝から出社しようと帰宅を急いだのでしょう。無理に夕方の飛行機に乗って事故に遭ったのは、昭和一ケタの宿命だったのかもしれません」
「夫の夢を見て、ホテルのベッドで目が覚めると、あとは悲しくて、眠れません」とも。
「毎日ここに来て夫を捜していますが、遺体といわれても、素人の目では人間に見えないようなものばかりです。体育館の中は生き地獄です」

◆門田隆将氏の疑惑 その22-4

【池田知加恵『雪解けの尾根』】168〜171ページ
【※註/「22(3)」末尾より、東京新聞記事の引用の続き】
〝生き地獄〟がつらくなったのか、しばらくすると、池田さんは記者の生い立ちや家族のことを尋ね始めた。記者の話に、池田さんは何度も念を押した。―「どんなに忙しくても飛行機に乗ってはいけませんよ」「両親を飛行機に乗せてはだめですよ」
 最後まで涙を見せることもなく、池田さんは感情をおさえて淡々と話し続けた。
        ………
 十九日、大阪より駆けつけたかかりつけの歯科医が、カルテを頼りに歯の治療跡から、隆美さんの遺体を確認した。午後三時、池田さんは変わりはてた夫とともに帰途についた。予定通り、二十一日に密葬が行われる。
【※註/以上、東京新聞記事の引用】
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】152〜153ページ
【※註/「22(3)」末尾より、東京新聞記事の引用の続き】
〝生き地獄〟がつらくなったのか、しばらくすると、池田さんは記者の生い立ちや家族のことを尋ね始めた。記者の話に、池田さんは何度も念を押した。――「どんなに忙しくても飛行機に乗ってはいけませんよ」「両親を飛行機に乗せてはだめですよ」
 最後まで涙を見せることもなく、池田さんは感情をおさえて淡々と話し続けた。
 十九日、大阪より駆けつけたかかりつけの歯科医が、カルテを頼りに歯の治療跡から、隆美さんの遺体を確認した。午後三時、池田さんは変わりはてた夫とともに帰途についた。予定通り、二十一日に密葬が行われる〉
【※註/以上、東京新聞記事の引用】

◆門田隆将氏の疑惑 その23

【池田知加恵『雪解けの尾根』】46ページ
 その時十六人、カマの前で最後の別れをした。旅先のことでもあり、柩の中に入れるものもない。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】154ページ
 自宅からは遥かに遠く、見ず知らずの土地だったため、棺に入れるものはほとんど何もなかった。
(略)棺を十六人全員が囲んだ時

◆門田隆将氏の疑惑 その24

【池田知加恵『雪解けの尾根』】46ページ
「池田君の好きだったスコッチウイスキーを遺体にかけてあげよう」
 との副社長の言葉を合図に私たちは、順番に真っ黒な遺体にウイスキーをかけて別れを惜しんだ。アルコールが腐敗止めのドライアイスにかかった時、すさまじい勢いで白煙が上がり、遺体が見えなくなった。
「池田君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう」
 と副社長が大きな声を出されて泣かれた時、みな泣いた。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】154〜155ページ
「池田君の好きだったスコッチウイスキーを(遺体に)かけてあげよう」
(略)
 副社長はそう言うや、オールドパーの口をあけ、下顎のところにかけ始めた。
 その時、すさまじい勢いで白煙が上がった。
(略)
「池田君、長い間、会社のために働いてくれてありがとう!」
 その時、副社長の声が白く霞んだ中に響きわたった。
(略)
 その場にいる全員が泣いていた。

◆門田隆将氏の疑惑 その25

【池田知加恵『雪解けの尾根』】46ページ
 ふと、私は「柩のふたを覆って決まる人の価値」という言葉を思い出し、少し早い気がしたが、「あなたは立派でした」と紙切れに書き、持っていた赤い財布と共に柩に入れた。これが私のできる精一杯の夫への感謝の気持ちであった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】156ページ
 夫は「人間の価値は、棺を蓋(おお)って初めて定まる」とよく言っていた。
(略)
「あなたは立派でした」
 知加恵は、そう紙に書いて棺に入れた。知加恵は、夫に対する感謝と誇りを、その短い言葉に籠めたのである。

◆門田隆将氏の疑惑 その26

【池田知加恵『雪解けの尾根』】47ページ
 八月十二日、自宅を出た夫は、この日の深夜、骨箱の中に入ってようやく戻ってきたのである。七日と十七時間ぶりであった。
【門田隆将『風にそよぐ墓標』】157ページ
 隆美の骨壺が、大阪・茨木の自宅の門をくぐったのは、八月十九日午後十一時のことである。八月十二日早朝に自宅を出て以来、実に七日と十七時間ぶりの帰宅だった。

「その25」では〈柩〉を〈棺〉に置き換えたり、「その26」では〈骨箱〉を〈骨壺〉に置き換えたりしているものの、コピー&ペイストとしか言いようがない疑惑の文章だらけですね。

■知られざる疑惑がまだまだ見つかった!

長くなりましたが、以上が池田知加恵さんが門田隆将氏&集英社に勝訴した著作権侵害訴訟の争点一覧です。

門田隆将著『風にそよぐ墓標』の巻末には、参考文献として池田知加恵さんの著書『雪解けの尾根』が挙げられてはいます。ただし本文中には、『雪解けの尾根』からの引用を示すカギカッコや引用元の書名は書かれていません。読者から見ると、これではテキストが門田氏オリジナルの文章なのか、他の著作物からの引用なのかまるでわからないのです。

裁判を起こされた1年後、門田氏は奇策に打って出ました。池田さんによって26カ所の盗用疑惑が指摘された第3章を丸ごと削除し、タイトルを『風にそよぐ墓標 父と息子の日航機墜落事故』から『尾根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故』に変えて、文庫として再刊行したのです(2012年9月、小学館文庫)。なお2012年10月、この本を原作としたWOWOWドラマ「尾根のかなたに」が放送されました(主演は伊勢谷友介氏)。

さて、ここで素朴な疑問がポワ〜ンと頭の中に浮かびます。「これほどまでにあからさまな引き写しをする書き手は、ほかにも同じことをやっているのではないか」という疑念です。

『風にそよぐ墓標』巻末には多くの参考文献が掲げられています。参考文献に書名が載っているのに、本文中に書名が明記されていない資料が存在することが気になりました。それらの文献と『風にそよぐ墓標』を比較して読み比べれば、ひょっとすると誰にも知られていない疑惑がさらに見つかるのではないか。そんなことを考えながら資料を読み進めていったところ、驚くべきことに、参考文献とソックリな記述が次々と(それも大量に)見つかったのです――。

連載第2回へ続く/文中・一部敬称略)

※情報提供はコチラまで → kadotaryusho911@gmail.com

#門田隆将 #門脇護 #風にそよぐ墓標 #疫病2020 #Fukushima50


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