祇園祭のことなど

大学生の頃、祇園祭はとても身近なイベントだったように思います。
入っていた合唱サークルには祇園祭にみんなで行く、みたいなしきたりがあったし、働いていたラーメン屋は屋台が出始めると開店休業状態になって、仕方がないからオーナーがたこ焼きやら焼きそばを買ってきてみんなで食べたりしていたし。
そもそも、祇園祭が近づくと街にお囃子が流れるようになり、祭りが始まるとあからさまに人出が増えるので、否が応でも、祇園祭を意識せざるを得なかったような気がします。
身近なものだから、それに付随していろんな思い出もあるような気がします。

一度だけ、山鉾巡行で山を担いだことがあります。
山鉾を担いだり引っ張ったりする人をどう調達するかは、その山鉾によって異なったはずです。
アルバイト、ボランティア、地元町内の若い衆。
中には特的の大学の特定のクラブが伝統的に担う山鉾があります。
私が担いだのは、母校のグリークラブが担ぐ山で、別の合唱団にいた私は、人手が足りんくなったから来てくれないかと誘われて、のこのこと行ったのだったと思います。

山鉾巡行がどんなんだったかは、あまりおぼえていません。
記憶は断片的で、出発前にグリークラブが一曲披露したこと(柳川風物詩やったかな…、男声合唱やし手持ち無沙汰だった…)、その日がやたらめったら暑くて四条河原町の交差点から北に行ったところで冷たいお茶の差し入れがあって死ぬほど美味かったこと、隣にいた一学年下のグリークラブの人が私の近所のFamily Martの店員で妙に盛り上がったこと、あとは映像が断片的に思い出されるだけです。

ただ、四条通りを西に向かって歩くとき、いつも歩いている両側の歩道のあたりには観覧の人がわらわらいて、通りの両側にはビルがずうっと聳えている、その光景は妙に鮮明におぼえています。
いつもの四条通りではなくて、森見登美彦の小説のような、異界に迷い込んでしまったような、不思議な感じがしました。
あぁ、四条通りの真ん中を徒歩で突っ切るのは、最初で最後だな、汗をたらたら流しながら、そう強く思ったのをおぼえています。

それから、もう10年が経ちます。
あれ以来、山鉾巡行はおろか、宵山にすら一度も行っていません。
避けている、というわけではないのですが、なんとなく機会を逸しているのです。

また行きたいな、そう思う気もしますし、いや、もう私の祇園祭はこれでよい、そんな気もするのでした。

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