うたの日のことなど

うたの日にはじめて参加したのは2014年6月30日、サイトがオープンして91日目のことだ。
もちろん、私が記憶していたわけでも、記録していたわけでもない。うたの日のサイトで簡単に検索できるのだ。これはすごいことやと思う。
個人がこのサイトを運営していて、私たちはそれに乗っかって短歌を楽しんでいる。ありがたいことだなぁ。

うたの日がなければ、今ごろ短歌を続けていなかったかもしれない。ときどき、そんなことを思う。
投稿したらその日のうちに結果が出るシステムは、落ち着きのない初学者には本当にありがたいものだった。
毎日の結果に一喜一憂していた頃は、やきもきもしていたが楽しくもある。うたの日を通して、短歌の知り合いらしきものが少しずつできていく。本当にありがたい場だった。

うたの日は恣意性の無いただの場だ。選は平等で権力関係は無く、運営という微妙に場に影響してしまいがちな役割はののさんが一手に引き受けている。僕らはただただ、うたの日という場で短歌を続けさせてもらっていて、本当に感謝しかない。
うたの日が2000日を迎える。
本当に、感謝しかない。

うたの日を通じて村田馨さんに声を掛けられて、ホイホイと歌会の場に出て、その場のノリで短歌チョップのスタッフをやって、少しずつ短歌の知り合いがリアルの場に増えていて、新人賞に応募したりするようになって、結社に入って、そのあたりでうたの日への参加を控えるようになった。
自分の中でのいい歌とうたの日で勝てる歌が乖離してきたからだと思う。
それでも、うたの日はずっとそこにあって、ときどき思い出したように参加すると、帰省したときのふるさとのように、なんでもなさげに受け入れてくれる。
参加者はずいぶんと入れ替わっているけど、それでもうたの日がただの場であるという事実は揺るがない。

この夏、ありがたいことに歌集を上梓することができた。
うたの日に投稿した歌も、何首かはいっている。
うたの日に投稿した歌が歌集に収録されて、それを誰かが引用したりする。そんなのを見つけると、本当に遠くまで来てしまったなと思う。

歌集を出してありがたかったのは、うたの日の参加者が私の歌集を買ってくれていることだ。税込2700円もするのに。本当にありがたい。
私と入れ替わりにうたの日に参加して、うたの日で活躍している人たちが、うたの日の先人として私を捉えているのは、すごく嬉しく、すごく不思議だ。
私の通算成績はさほどきらびやかなものではないし、歌自体も派手ではない。
それだからこそ、彼らから歌集の感想をもらうとき、うたの日が経てきた年月を思う。

ののさんの労力の上に成り立つサイトだから、うたの日の不滅を願うことがどれくらい適切なのかはわからないんだけど、それでも、そこにうたの日が存在している事実は無茶苦茶嬉しい。
2000日おめでとうございます。

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