ぬばたまの黒田博樹よああ是は曼珠沙華いちめんの花野だ/牛隆佑『鳥の跡、洞の音』私家版,2023年

色彩鮮やかな印象を受ける一首。
黒いものを導く枕詞である「ぬばたまの」から黒田博樹が導き出される。初句のイメージは暗く、それに導かれた黒田博樹の色調もどこか仄暗い。ただ、そのイメージは三句目で転調する。黒田博樹を知っている読者は「ぬばたまの」がもたらすイメージと黒田博樹のイメージとの間に齟齬を感じるような気がするが、三句目でそのイメージを塗り替える助走がなされる。

下句では一転して明るい色調に切り替わる。明るい花野。一面の曼珠沙華の中に黒田博樹が立っている。そんな荘厳なイメージが想起される。暗い印象のあった初句二句との対比もあり、眩いばかりの赤色に思われる。
一首は、四句目の「曼珠沙華」で一度切れて、「いち/めんの花野だ」と句割を伴って歌い収められる。「ああ是は曼珠沙華」と一度感嘆して、その上で「いちめんの花野だ」と景が提示される。曼珠沙華の赤は、黒田が着ている赤い広島のユニフォームにも、マツダスタジアムを埋め尽くす広島ファンにも呼応する。

一首は、歌集中の連作「戦争で死んだ祖父は広島カープを知らない」に収録されている。
連作の冒頭に配された一首の前には「2016」という数字が付されている。この年、カープは25年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。メジャーリーグ球団の高額オファーを蹴り、その前年にカープに復帰した黒田は、41歳のシーズンにもかかわらず10勝を挙げ、この年の優勝に大きく貢献した。優勝を決めた9月10日にも先発投手として登板している。
「ああ是は曼珠沙華」と言った瞬間に、青と白のドジャースのユニフォームでも、白黒のヤンキースのユニフォームでもなく、黒田が赤いカープのユニフォームを着ているという喜びがよぎる。その来歴もあり、黒田がカープのユニフォームを着て躍動している姿は、一首が提示する荘厳なイメージと重なり合う。

とおつひと広島市民球場マツダスタジアム沸きたれば人間の血は広島のいろ

たくなわのながいながーい旅でした二十五そして七十一と

ひさかたの亜米利加という国ゆ来し広島という町を助けに

たまかつま安部友裕が水色の手紙のような犠打を決めたり


一連15首はすべて初句は枕詞となっている。ある種技巧的ではあるのだけど、広島優勝という昂りが枕詞から導き出されているようにも読める。また、連作タイトルにもあるように、戦争が一連に重ねられてゆく。掲出歌の曼珠沙華も、彼岸花という俗称のとおり、どこか死に近いイメージがある。

一首目は、あえて2010年に閉鎖された旧本拠地である「広島市民球場」に「マツダスタジアム」という現球場の名前が当てられていて、地元広島と共に歩んできたカープの歴史が思い起こされる。優勝を目前沸き立つマツダスタジアム。二首目にあるように、それは25年ぶりの優勝であり、同時に戦後71年目の出来事なのだ。マツダスタジアムを埋めつくす人々は血の通った人間だ。71年前の原爆投下によって壊滅した広島の地に沸き立つ人々。連作題にあるように、広島カープを知らずに死んだ祖父の子孫達もいま広島の地で沸き立っている。

三首目、「久方の」は天や雨を導くが、「亜米利加」の〈あめ〉の音を導く。同様の使用法として、正岡子規の「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」に先例があり、子規の一首がどこかで意識されているようにも思う。アメリカの落とした原爆の記憶を内包した「広島」の地に、野球の母国でもあるアメリカから来た助っ人外国人。15勝を挙げたクリス・ジョンソンや怪我で離脱したがシーズン途中まで主軸打者として活躍したエルドレッドが念頭に置かれている。「亜米利加」の表記が戦争の記憶を疼かせる。ジョンソンはこの年、外国人投手として史上2人目の沢村賞投手となったが、沢村賞に名を残す沢村栄治も1944年に戦死している。

四首目は送りバントを決めた安部がモチーフ。「水色の手紙」という直喩が魅力的だが、「犠打」という表記も相まって、一連の中ではどこか本当に自分の命を犠牲にしているような印象も付与される。また、「犠打」からは戦時下の敵性言語の使用禁止も想起される。そういえば、打者や四球などの和製野球用語を作ったのも正岡子規だ。


広島カープの優勝を広島という土地の持つ戦争の記憶ごと詠う。その記憶は、広島のものであると同時に日本のものであり、私たちひとりひとりのものでもあるはずだ。
広島の優勝の歓喜と戦争の記憶が交錯するこの一連は、歌集のなかでもひときわ印象に残る。

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