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第4の人材

先日、とあるイベントに参加したときに、IT向けの転職エージェントの方とお話する機会がありました。その方がいうには、平均的にデザイナーはエンジニアよりも年収の提示額が100万円以上低いのだそうです。それを聞いてわたしはちょっと意外に思いました。というのも、今これだけユーザビリティがどうとか顧客体験がどうとか騒がれているのなら、デザイナーの需要が高くても不思議ではないからです。転職エージェントの方は、もっとデザイナーのお給料が増えるように働きかけていきたいんですけどね、とおっしゃっていました。

ちなみに5年くらい前にこんなブログを書いたことがあります。

スタートアップだと、エンジニア、デザイナー、マーケターの3人で起業するのが鉄板です。ゼロから製品・サービスを立ち上げて軌道に乗せるまで、どの役割も欠かすことはできません。コーラで例えるなら、あの炭酸の入った甘い飲み物を開発するのがエンジニアですが、もしコーラが醤油瓶に入っていたとしたらそんなに売れることはなかったでしょう。印象的なロゴとボトルによって、消費者においしいだけでなく「イケてる飲み物」という付加価値を提供します。マーケターはその飲み物をマッチョの男女がビーチでパーティをしている写真と一緒に見せることで、さらなる付加価値を生み出します。エンジニア、デザイナー、マーケターの担う領域は重なることはあっても、完全に一体になることはありません。エンジニアの役割は顧客が製品を使ったときの幸せを最大化することです。マーケターの役割は顧客が製品を購入したときの幸せを最大化することです。デザイナーの役割は、顧客が製品との間に生まれる全ての体験をより好ましいものにすることです。デザイナーときくとイラストを描いたり、ホームページを作ったりする人というイメージがあるかもしれませんが、実際のデザイナーの仕事というのはもっと幅広いものです。もちろん全ての顧客体験をデザインするには、それを表現して伝えるためのスキルが必要となります。エンジニアは自分の理想をコードで表現します。マーケターは数字で表現します。デザイナーはそれを絵やスライドや動画で表現できないといけません。ときどき言葉だけで表現しようとする理想家がいますが、そういうのはスティーブ・ジョブズでない限り仲間に入れてはいけません。

最近はサブスクリプション(継続課金)型ビジネスの普及で、いかに優れた顧客体験を提供できるか(つまりお客さんに使い続けてもらえるか)が重要視されるようになりました。なので実は優秀なデザイナーは引く手あまたの状況ではないかと思います。しかもデザイナーというのはエンジニアと比較してそう人数が必要なものでもありませんから、採用するなら優秀な人をとなるでしょう。エージェントの方がいうようにもう少しして一般の企業でもデザイナーの価値が認められるようになれば、お給料もぐっと高くなるのだと思います。がそれも一部の人に限った話かもしれません。

とここまでデザイナーの待遇について書きました。デザイナーについてはまあまだそんなもんかなというくらいなのですが、本当に書きたかったのはさらに別の職種のことです。優秀なエンジニアとデザイナーとマーケターが揃っているとして、事業をさらに加速させるためにもうひとり誰か雇えるとしたら誰を雇いますか? 押しの強い営業でしょうか、顧客サポートの担当者でしょうか、それとも人事総務のスタッフでしょうか。わたしは今、優れたライターを雇うことをおすすめしたいです。

わたしは普段文章ばっかり書いています。製品のコードを書いていなければ文章を書いているといってもいいくらいです。サービスの仕様を書き、マニュアルを書き、問い合わせへの返答を書き、いまこのブログを書いています。顧客とのコミュニケーションのほとんどはメールやSlackです。わたしは文章を書くのがそんなに下手ではないと思っていますが、あまり好きではありません。それにとにかく書くのが遅いので一本のブログ記事を書くのに丸一日費やしてしまうことも珍しくないです。それでも必要なので文章を書きます。いくらこれからは動画の時代といっても、動画が有効なのは受け身の相手に大まかなイメージを伝えたい場合だけです。お客様とわたしたちの接点になるのは依然としてブログの記事であり、ホームページのキャッチラインであり、サポートメールの何気ないお礼の一文だったりします。わたしは千人の前で話をする機会はこれまで一度もありませんが、このブログを書くと数千人に読んでもらえます。

デザイナーの仕事が丸角のアイコンを作ることではないように、ライターの仕事も表の入ったマニュアルを書くことではありません。優れたライターは心を動かす物語をつむぎ、顧客体験のすべてに意味を与えます。豊臣秀吉はどんな人だったかと聞かれて、多くの人は信長の草履を懐に入れて温めたというエピソードを思い出します。きっとその話は嘘でどこかのライターが作りあげたものです。これがジョブズや松下幸之助であっても、その人について説明するとき、あのとき彼はこういう行動をとった。それは彼がこういうひとだからだみたいなエピソードが語られます。そういう話はほとんどが嘘か、そうでなければ脚色されたものです。わたし自身もなぜ起業したのかときかれると実はこういうことがあってというエピソードを語りますが、それはわかりやすいからでそのエピソード自体に深い思い入れがあるわけではありません。このブログの冒頭に転職エージェントと話したエピソードを入れたのもそういう理由からです。物語は理解しやすく、説得力があり、読む人の注意をひくことができます。どんどん人の好みが細分化されていく現代では、それが人物であれば会社であれ商品であれ、一貫したストーリーがないものには興味を持ってもらうことができません。

ライターを雇えない場合は、今いるメンバー全員が優れたライターになる必要があるでしょう。エンジニアはわかりやすい技術ブログを書かなければいけませんし、デザイナーは魂のこもったキャッチラインを、マーケターは心を動かすニュースリリースを書かないといけません。アマゾン社では会議資料にパワーポイントを使うことが禁止されているそうです。代わりに、ナラティブ(meeting narrative)と呼ばれる長文の文章を用意することが求められます。会議の冒頭に30分の時間をとって、各参加者が用意されたナラティブを黙読します。ナラティブには会議の目的や背景、取りうる選択肢、次にやるべきことなどが語られます。

わたしは、採用面接で文章を書いてもらうのも、優れたライターかどうかを見分けるためのよい方法ではないかと思っています。エンジニアの採用であれ、デザイナーの採用であれ、何かのテーマに沿ったある程度長めの文章をあらかじめ書いてきてもらうのです。文章を読むことで、語彙があるかどうか、相手にわかりやすいコミュニケーションをしようとしているかどうか、ユーモアがあるかどうか、そのテーマについて深い知見や洞察があるかどうかなどがわかります。優れたライターかどうかがわかるだけでなく、面接の場で話すよりも効率がよいと思うのですがどうでしょうか。ただAIや他の人が書いたという可能性があるので何かしらの対策を考える必要があるかもしれません。