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祖父たちの軍歴証明書を集めてみた話

以前、父方の祖母が亡くなったとき、祖母の郵便貯金の口座を解約するため、祖父母の親から自分に至る、すべての戸籍(除籍)謄本を取ったことがあります(たしか1万円以上かかった…)。
結果的に、明治のはじめからずっと、分家したり嫁いだ人以外、祖父母それぞれの家系すべての一覧になったわけですが、それを見ていて、太平洋戦争で亡くなった方がいることを初めて知りました。
両家とも山奥だったためか、空襲などで亡くなった方はいないようでした。

それから何年かして、「軍歴証明書」という書類を請求すれば、遺族は軍歴を確認することができるときき、戦死した見知らぬ親戚と、生きて帰って自分につながる祖父の軍歴を知りたくなり、請求してみました。

旧陸海軍から引き継がれた資料の写し等の請求について

自分は三重県出身なので、問い合わせは、三重県 健康福祉部 地域福祉課 福祉・救護班に行いました。
電話で問い合わせて、「調査依頼書」を送ってもらい、必要な書類と合わせて返送します。このときは、祖母の弟、祖父の兄、そして祖父の軍歴を照会しました。

送られてきた証明書は、当然ながらウェットなところは一切ありません。淡々と、履歴のみが書かれています。年月と場所、隊の名前などは明記してあるので、その気になれば、どのようなことがあったかを調べることはできそうです。

大正6年生まれの祖母の弟さんは、昭和13年に工兵として臨時招集され、半年余りで招集解除されていました。
その後、昭和16年に再度工兵として臨時招集、大阪港から朝鮮半島に渡り、南方へ。昭和18年3月3日に洋上で戦死されたようです。
場所、日付から、ビスマルク海海戦でしょうか。

明治40年生まれの祖父のお兄さんは、昭和18年に歩兵として臨時招集され、約1年後、ニューギニア ヤカチにおいて戦死、ということになっていました。戸籍謄本を見ると、当時9歳になる娘がいたそうです。
南方の悲惨さはいうまでもありません。無謀な作戦の中、多くの方が、飢えと病で亡くなっているようです。

祖父は、昭和10年に志願して兵士になったようです。
輜重兵(しちょうへい)として3年ほど過ごし、一旦招集解除され、昭和16年に再度臨時招集、ルソン島に渡ったあと、昭和18年の夏に帰国し、すぐに招集解除されました。
ググってみると、そのまま軍にいたら、南方に派遣されていたかも知れません
招集解除になった理由は聞いていないのですが、おかげで自分がここにいます。

母方の祖父については、まだ調査していません。いずれやりたいと思います。

歴史の連続性を認識する

小学生の時から、ずいぶん「戦争の悲惨さ」みたいなのは教え込まれてきましたが、正直想像もつかないし、祖父たちに聞いても(聞き方も悪かったんだろうけど)話をしてくれないし、歴史の話という一線を引いた認識でした。
しかし、そういう戦場で、もし生きていてくれたら自分が実際にあっていたかも知れない血縁者が亡くなっている。
文字や数字でしかなかったものに、色が付きだしたのを感じています。

ただ、知るのが遅すぎた。
当時の様子を知る身内はみんないなくなり、両祖父は、具体的な話はほとんどせず、全部墓の中に持っていってしまった。
もう少し自分に知識と機転があれば話を聞けたかも知れないと思うと、慚愧に堪えません。

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