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「明日、役所に婚姻届を出しに行こう」を真にするという変な話

「明日で世界が終わる」という類の話で大好きな台詞がある。

同性カップルが世界が終わる前日を共に過ごしている。
その時カップルの片方が言う。
「明日、役所に婚姻届を出しに行こう」
それを聞いたパートナーが
「なぜ今それを言うんだ」
と笑いながら涙を流す。

「明日、役所に婚姻届を出しに行こう」
何も考えずとも、シンプルにロマンティックなセリフである。初めはただただ切なくて好きだと思った。それからずっとただただ好きな台詞として心に残っていた。たびたび記憶の底から取り出しては、きれいだなぁと空に透かすように愛でてきたわけだけど。
それが今日ふと湯舟で、感情論以上のトリックがあるのでは?と分析したい気持ちが湧いて出た。
それをここで整理してみようと思う。

”空真”を知っていますか?

「AならばB」において、Aが偽のときに、Bの真偽いかんによらず「AならばB」が真とされる
(中略)
前提条件を満たさない場合には結論の真偽は問われない。

「AならばB」のよくある誤解から学ぶ、論理学入門(対偶、逆、否定、真偽表) | 趣味の大学数学
https://math-fun.net/20180713/562/#i-3

これを高校生の時だったか習ったとき、「日本語で話せや!」と一人怒っていたのを覚えてます。

タラレバの話をしてる時、言ったことが現実に出来るか出来ないかなんてどうでもいいよね~。だって「もしも」なんて無いんだもん♪
という風に今の私は解釈している。
およそ数学の範囲で学習するとは思えない暴力的な論理である。(個人の感想です)

しかしこの暴言を信じて適用すると、先の台詞はこう解釈できる。

A:明日が来る→偽
B:役所に婚姻届けを出す→偽
AならばB:明日が来るならば役所に婚姻届けを出す→真
つまり、「明日、役所に婚姻届を出しに行こう」の文そのものが真になるのである。

婚姻届けを出すという、これまでずっと偽とされてきた事象が、世界最後の日に真とみなされる。
この喜びと絶望が大好きです。
もちろん、現実的な話をすれば、どんなカップルも当たり前に婚姻届を出して伴侶と認められて欲しい。
けれど、この不平等な時代が産んだ悲しさの証として、好きだなぁと思うわけです。
そしてこんなことを関ジャムをBGMにせこせこ書いている自分がちょっとキモいと思うわけです。

そんな感じで、キモ楽しい3連休最終日の日記でした。
最後に、もうタイトルも作者さんも忘れてしまった元作品に感謝申し上げます。出会えてよかった。ずっと好きです。今日もっと好きになりました。
そしてここまでお付き合いくださったあなた、どうもありがとうございました。

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