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外資金融で働いていたはなし⑤:解雇からの無職

みなさん、こんばんは

今日も東京は曇り空で終日ぱっとしないお天気でしたね。
明日もお天気は悪そうですね・・・太陽が恋しいですね!

さて、話の続きを・・・

2008年9月15日のリーマン・ショックからの野村證券に買収・移籍・・・からの解雇とジェットコースターのような2ヵ月でした。

同じ債券でも私同様に解雇された人もいれば、残った人や他社に転職していく人(セールスはけっこう転職多かったかも)など様々でした。また、以前いた情報システム部などをはじめOperationなどサポート業務の部署はほとんどそのまま移籍だったのかなという印象です(自ら転職した人以外は)

最終出社日を過ぎると、ぱたっと何もすることがなくなってしまいました・・・就職活動はしていましたが、全くジョブマーケットは動かない状態でしたので、どうにもこうにも動けない状況でしたから。ひたすらエージェントや派遣会社に登録したりする日々だったかと思います。
当面は何とか生活できても、先が不透明すぎて遊び歩くわけにも行かず・・・行くところもないので近所の図書館に行ってみたものの、お年寄りばかりで何だか悲しい気分になって帰ってきたり。

あげく、リーマン時代には会社のハウジングプログラムを利用していたので(家賃補助などは一切ないのですが、会社契約にして家賃を給与天引きにすることにより、税金が安くなるプログラム・・・という理解です)解雇と同時に自分で賃貸契約をやり直さないといけなくなり、無職のため契約できないといわれ・・・弟①に契約者になってもらい、弟②に保証人になってもらってようやく住み続けることができたのでした(弟が2人いてよかった・・)
とにかく、鬱になりそうなくらい暗くしんどく辛い日々でした・・・(私のどん底その2時代)

当時、石神井川がすぐそばに流れているところに住んでいました。
石神井川は川沿いに桜並木があり、本当に見事に咲くのですが、冬は当然枯れ枝です。いつも枯れた木の脇を歩いていたのですが、3月くらいになると少しづつ蕾が見られるようになってきて、本当に見事な桜が咲いたとき、辛いことがあってもいつか報われることがあるんだよって教えられたような、励まされたような気がしました。
そして、このまま家に籠っていてはいけないと思い、昔ボランティア活動をしていた団体にボランティアをさせて欲しいと連絡をし、就職活動をしながら週に2回事務所でボランティアをすることにしました。


なかなかうまくいかない就職活動でしたが、ボランティアではいろんな方とお話したり、プロジェクトに関わらせて頂いたりして、だいぶ気持ちが前向きになった気がします。
でも、当時、お金を使えなくて、池袋の職安に行くのも1時間くらいかけて歩いていき、ボランティアに行くのも2駅くらい前から歩いて行ってましたね。

そうやって気持ちが前向きになったせいか何なのか・・・リーマン時代の上司から産休カバーで契約社員だけど・・・とリーマンの債券でやっていた仕事と同様のセールスアシスタントのポジションの話を頂き、インタビューで何人か会った後、ようやくオファーを頂くことができました。
2009年9月のことでした。

・・・つづく
最後まで読んで頂きましてありがとうございました
引き続きよろしくお願いいたします。

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