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同じ毎日がエンドレスに続く日々を何と感じますか?

〜この記事の建て付け〜
「コーチたちのアドベントカレンダー 2023冬」の2日目。バトンを受け取って、バトンを繋いでいけてよかった。
誰かから贈ってもらった、「私が思う正反対」の2つのキーワード。
1ヶ月弱前?くらいにりみさんにもらってからずっとキーワードが引っかかり続けていたなぁって思う。

また明日ね、は好きな言葉。でもたまにちょっと怖い

毎日が当たり前に続くこと、大事なく安全に安心に次の日が迎えられること、また明日ねって手を振ってなんの疑いもなく同じ次の日を迎えられること。幸せで満たされていて。いいことだと思う。

ただ一方で怖いなと感じる瞬間があるなとも思う。アタリマエに続いている日がいつか終わってしまうかもしれない怖さもあれば、逆に同じ日がもう一回もう一回と続いていく怖さもあると思う。

ポジティブな気持ちの1日が続いてくれるならば幸せだし、どこかで終わりが迫ってくる感覚を持ちながら1日が終わっていくことは寂しさがある。そして脱出できないネガティブな日々が続いていくのならば、アタリマエになっている毎日を投げたくなる。

ルーティン化して継続することは得意だけど、全てがルーティンにしたくはない

私は、同じ毎日が続いていくことに耐えられない人間だ。安心だし、変わらなくていい居心地の良さだってある。それでも毎日に刺激を求めている。

ルーティンを作って続けることは自分の強みとして言い切れるくらい得意だし、今も毎日同じ習慣で生きてきている。最近の毎日は、朝イチでジムに行って30分から45分くらい走って、シャワーを浴びて、化粧をして、オートミールとプロテインを毎日同じ配分で作った朝ごはんをもって出社し、メールチェックしながら食べる。

朝起きてからの3時間くらいはほぼ毎日同じである。続けられている。でも変化を求めている。


昔書いた継続力が自慢だぞ!っていうnoteを発掘した。


継続することは得意だ。でもやっぱり結果が得られているからこそ続く部分がある。もし、毎日頑張って続けていても願った変化が得られなかったらやめていたと思う。

毎日すべてがルーティン化してしまったら息が詰まる。私らしさが死んでしまう。

私が思う私らしさは、同じことでも愚直に続けながら、その中で常に改善し続ける姿勢にあると思う。そうわかっていても私らしさを私が忘れた瞬間がある。


毎日が灰色で同じ朝を迎えて同じ1日を過ごして寝るだけの日々にはまった時期

2023年2月某日午前1時。人生で一番息苦しさを覚えた日。あの時の私は出口のない迷路に迷い込んだような日々を送っていた。毎日続くルーティン業務、終えても終えても次が来る作業、その日が終わっても、「また同じ明日が来るんだな」と思いながら、何の感情も持たずにベッドに入って眠る日々。

いつかこの日々に終わりは来るけれど、いつになるかはわからない。そんな暗い迷路の中にいた。日に日に自分らしさや楽しさややりがいはなくなり、感情を失っていった。

振り返って、今1番思う怖さは、そんな息が詰まる日々にいたこと、ではなくて、同じ毎日が続いて世界がグレーになって自分の感情が死んでいっていることに気が付かない自分がいたことだ。

ただ日々を無感情に重ねるだけの毎日に慣れっこになっていた。

あの瞬間の私はまさしく、未来に希望を持てていない自分だった。明日が今日より楽しい日になることをカケラも期待していなかった。

未来に希望を抱けない時が私が絶望していた時。でも渦中にいる時は自分が絶望していることにすら気づけなかった。そのくらい絶望的な状況は人も精神も蝕んでいくんだなと、今だから思える


絶望した中で持った希望は曖昧で生ぬるい優しさを持ったまやかし

そんな絶望の淵から出てくるのは難しかった。“今”を変えることは難しい。特に繰り返されている日々を変えるのは難しい。自分の人生・自分の未来のことだけどそれでも難しい。

だって現状は維持するのが一番楽だから。

変えるのはエネルギーがいる。そして特に疲れている時にそんなエネルギーは湧いてこない。変えられるわけがない。

究極の状況だなと思う。自分の人生を変えるのも、決めるのも自分でするしかないのに、誰よりも自分が救われたいと思っているときほど、エネルギーが足りない。

何度もやめればいいじゃん、と言われたけれど、その度に「もう少ししたらもう少し良くなるから」と先延ばしにし続けて、辛いエンドレスな日々の中に取り込まれていった。

理想の状態や楽しそうなことをイメージすることで元気は出た。けれどそれでは現状から飛び出すことはできなかった。希望を持てばなんとかなる、とは言い切れないこともあるんだな、とその時思った。

希望は優しい。疲れた心を癒してくれる。未来に対して漠然といいイメージが持てる。

でも絶望を脱するには、曖昧な優しさだけを持った希望では足りないことを知った。


希望が消えてこれ以上ない絶望を経験してようやくわかったような気がする希望の姿

結局今回絶望から脱したのは、曖昧に抱き続けていた“いつか時間が解決してくれる”という希望が消えた瞬間だった。時間は解決してくれない。この日々は終わりなくずっと続いていくんだ、と現実を受け止めた。そして絶望した。人生イチ地の底まで落ちていった。

でもそこで失っていたのは“まやかしの希望”だった。なんとなく優しい未来を夢に見て、先延ばしにして、現状維持をしていた日々から見ていた希望は、夢だった。

希望を失って絶望して、そこでようやく絶望から脱する覚悟ができた。希望の未来なんて待ってても来ないことを受け止めてようやく行動ができた。

じゃあどんな希望が真実の希望なんだろう?

私にとっての真実の希望は、絶望しきったら見えた。未来に絶望して今を続けることを諦めて手放してエネルギーはないけど行動するしかもう道がなくなって、ようやく歩き始めて。そんな中で出会えた。

絶望している中では希望は持てない。エネルギーがなくても這ってでも前に進むようになってようやく明日がより良い自分になれていると信じられた。その瞬間希望が持てた。

この先にあるであろう漠然としたよき日、ではなくて、一歩だけでもいいから前進した自分が明日いる、と信じられていること。そのために現状維持し続けるんじゃなくて、現状を壊し続けること。

そのエネルギーを持って日々に向き合えていること。

それが私にとって希望がある状態。

絶望の中から無理やり抱いた希望はまやかしの希望で、まやかしの希望すらも持てないくらいにどっぷり絶望した瞬間が、絶望から出られた瞬間。そして絶望から出てようやく私は希望を手にできた。

Advent Calendar企画Day2
「希望」と「絶望」

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