flow2018122001 えらいてんちょう「しょぼい起業で生きていく」のしょぼい感想文

昨日は帰宅後にクリスタを触ろうと思っていたものの、自宅に届いていた「しょぼい起業で生きていく」を一気読みしてしまった。

しょぼい起業で生きていく|えらいてんちょう (なぜかAmazonの書影ページがどれも埋め込みできないのでこちらのリンクからどうぞ)

僕は対面恐怖が強い人間なので、実店舗を構えてはいないし、構えるつもりもないのだけど、この一年ネットでやってきたことは「生活の資本化」という観点から理にかなっていたんだな、という気がしている。

著者のえらてんさんがよく言っているランチェスター戦略、1に対して10を注ぐゲリラ戦の概念などはまだ本に登場していなかったが、とにかく現代日本に蔓延している「社会の大枠に適応できない=死」というステレオタイプを乗り越える具体的な方法の啓蒙というのが第一義だと思うし、しょぼい喫茶店のエピソードはその最たるものでちょっと涙まで出た。

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本の中にあった「店」というのが、僕の場合は作品なのかなとも思った。

イラストをはじめとする作品作りは生活の一部であり、それが出来上がるだけで、もう十分に役目を果たしているものを「せっかくなので」投稿している。それを喜んでくれる人が集まってくる。仕事として頼んでくれる人がいたり、僕の作品を広めるために技術を提供してくれたりする。奇跡のように有難いことだと思う。

それを考えると、毎日こまめに投稿することは、結果としてネット上に「常駐」というか「存在」していることでもある。テキストにしてもイラストにしても、リアクションや要請があればできる範囲で応えたりもしてて、自分が好きでやっていることが知らないうちに「出店」「接客」「宣伝」になっていたのかもしれない。

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札幌でえらてんカフェに顔を出した時、えらてんさんの師匠の一人が「とにかく人が集まればお金が回る」と仰っていたという話を聞いて、つまり「お金」とか「価値」とは何なのか、ということだなと漠然と悟ったのを覚えている。それまでは「人が集まる」ということを、「集客」や「人気」というレイヤーでしか考えたことがなかった。

これはじぶんコインにも共通するテーマである気がするけれど、価値の発生、価値交換の成立そのものの快楽というものが、社会的快感(そんな言葉ないけど)の中で上位にあるのかもしれない。

私はここにいてもいい、私はこれをしていてもいい、私はここでこのようにしてならば生きていてもいい、ということを確信できると、それは手の震えるような興奮となって表れることがある。一方でその興奮を相手に与えることができたという確信も、同様の状態を引き起こす場合がある。

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相変わらず自分の生活を何とかしないといけない状況ではあるものの、もし地元十勝帯広で「しょぼい起業」としてお店をやる人がいるならば、応援したい。とにかく今は自分の借りているフィールドに「存在」しながら、ニコニコしていたり、草むしりをしたりして過ごしていこうと思う。

(リンク再掲)

しょぼい起業で生きていく|えらいてんちょう 


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dechi

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