客観的になるために、さらに考え過ぎる flow2018090101

 いままでVALUの限定公開で、その日にできた作業について報告していたのを、今度から朝のうちに予定を立てて公開し、さらに就寝前に成果を発表する。というルールに変更してみた。

 以前、長期的な数値目標を公言したときは、結局プレッシャーにしかならなかったけれど、この日報スタイルであれば、結果がすぐ出るので、次のサイクルを改善させることに気持ちを切り替えられる。

 さらに、消化する日課の順番もあらかじめ決めることにした。後回しにすると、予定がずれ込んだ時に睡眠時間を削らなければならず、それはあらゆる意味で良くない。「他のことがなにもできなかったとしてもこれだけはやる」ということから手をつければ、そのあと起こるアクシデントの悪影響を限定的にすることができる。

 こういうことも、あくまで自分に合ったやり方を探す一環にすぎないので、これが他の人にも有効なやり方かどうかは分からない。同時に、現在のやり方がベストだとも言い難い。

 全体のタスク管理だけではなく、個別の作業についても、現在のやり方がベストではない。設備と同様、どういうものが自分に合っているのかを試していく他はない。

 そこの過程を楽しめるようにしたい。そのためには、こうして頼まれてもいないのに途中経過を報告したり、考えていることを文章にするということが重要な要素だったりもする。

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 今朝は作業予定の公開以来、ええ格好をしたくて夜更かしが続いてしまい、そろそろ頭が回らなくなってきた。少し前ならカフェインを多めに摂って通常のペースを維持しようとしていたけれど、それが反動となって動けなくなると全体としてはマイナスなので、眠いなら眠いなりに、作業したり文章を作ったりしている。そのうえで、仮眠を長くして早めに就寝しようと思う。

 この「ええ格好しい」が僕の抱えている問題の一つで、目の前の人にNoと言えなかったり、限界が来るまで自分の意思を押し殺したりしてしまう。

 それは自信のなさから来ているのだろう。自分があまりに無力なので、せめて人に嫌な思いをさせないようにしたい。無害でいたい。という気持ちが常にある。

 そういう抑制が常にあると、何かのきっかけで逆に自分でも信じられないようなことをしでかして、結局人をひどく傷つけてしまう。それを防ぐためにも、自分を小出しにしていこうとするのだけど、30歳を過ぎてもうまくできないので、これは一生ものだろう。

 だから、そういうことを気にしないでものを言える相手というのは貴重である。「こいつ大丈夫か?」というような超長文を送りつけられたりしている人(本当にすみません…)や、何時間も話ができる人が、今も何人かいてくれて有難い。

 ここでそういう人たちに僕が「心を開いている」という表現をすると、そのこと自体が良いことのように聞こえるかもしれないけれど、それはあくまで「良い」心が開かれた場合においてのみ「良い」のであって、そうでなければ開かれた側の迷惑になるということも大いにあり得る。

 だから心は、開いたり閉じたりを繰り返す。主に相手がどうこうよりも、ただ自分のコンディションによって、他人との距離感が伸び縮みする。

 そういうことは、他の人ならもっとスムーズにできていることなのかもしれない。体調が悪ければ付き合いを減らして、それが失礼だとは思い悩まないものなのかもしれない。

 するとそこにはまた「ええ格好しい」が作用している可能性がある。たとえば、僕が不調かどうかなんて、飲みに行こうと誘ってくれる人の都合ではないのだから、(その相手にとっての)外的要因によって要求が通らないという「不快」を、僕が無理することで回避できるなら、そのことによってようやく自分の存在価値というか、価値のある行動が実現するのではないか…みたいな考え方をしてしまう。

 そういう考え方を少しずつでも、変えていこうと思う。文章にしてみると、上記のシチュエーションでは僕の価値判断があまりに近視的すぎだし、狭過ぎだ。
 
 そんな判断をしているのであれば、では「相手の不快を回避するために無理をしている」ということが、相手に明らかになった場合にそれこそが相手の「不快」にならないのか。そこで「明らかにされなければセーフ」という種類の行動を選択すること自体が、そもそも倫理的にどうなのか?という問いを立てることができる。

 文章にした自分の考えや感情は、厳密にではないものの、その性質を保ちながら外部のものとして切り離される。するとそれを客観的に(他人に対するように、自分に利害がないかのように)観察することができる。そこから今度は立場を逆転して、「外なる何者かの指摘」として、自分の観察を受け止めることができる(場合がある)。

 気にし過ぎが問題ならば、さらに気にすること。考え過ぎが問題ならば、さらに考えることによって、問題は過剰さではなく中途半端さにあったのだと暴くことができるかもしれない。

 もちろんこれは、気にするなと言われても気にして、考えるなと言われても考え続けてしまう人間に限った解決策である。何事も気にしないことに越したことはなく、考えないで済むことに越したことはない…

 などと、「頭が回らない」と言っていた割には、随分と好き勝手なことを書いている自分に気がつく。思っているよりも体調は悪くないのかもしれない。


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dechi

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