そなえよつねに(何かに何かで) flow2018103001

毎週火曜日は「無理するデー」と称し、カフェイン摂取などで普段のペース以上に作業をして、翌日以降ひっくり返って休む。というのをやるつもりでいる。

そこで日記も簡略化して、その分の時間を他の作業に当てようと思っていたのだけど、どうもこだわってしまって良くない。

そのくせ思いつくことは大抵、既に過去の日記で書いたことだったりするので、いったん書き出し以外はボツにして、改めて書き始めていたりする。

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日記や日報などを読まれた方からすると、僕が毎日色んなことを、精力的に頑張っている人間のように見えているかもしれない。ということを、ふと考えた。

これは単に自分の進捗と内容を公開することで、その大変さが伝わりやすくなっているに過ぎない。他の方々のほうがよっぽど大変なことを、それも「こんなに頑張りました!」などと言わずにやって、仕事と生活を送っているはずである。

新しい生活スタイルを殊更に推奨する人たちというのは、「自分に合った生き方」とか「自分の能力を生かせる働き方」だとかを、選べるという環境や前提があるということ自体が、特別に恵まれている状態だ。ということを見落としがちであるような気がする。

今の状況に不満や不安を抱えている人が、そういった人たちの大きな声を拠り所にしてしまうこと自体は悪いことではない(僕もそうでした)。ただし、それをきっかけに一念発起することが、果たしてその人に合っているのかは分からない。

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少ない経験から言えることは、新しい生活を目指すにしても、変わらぬ日々を送るにしても、何らかの「仕込み」があると、ずいぶん良いことが増えるということである。

抜本的な変化を起こす前に、見えにくい部分でマイナーチェンジをする。あるいは、大きな変化のための下ごしらえをしていくようなイメージでもいいし、極端な言い方をすると、「これに何の意味があるのだろう?」と思ってしまうようなことでもいい。

「今すぐやらなくてもいいこと」を、本業に障りない程度でやっていたことが、後の自分を助けてくれたということが度々あった。気付かないうちにその恩恵にあずかっていたものもあるかもしれない。

ここでいう「仕込み」は、単なる気晴らしということではなくて、なんというか…「今は別に必要のない、知識と技術の向上」みたいなことに近い。

作品を鑑賞する。何かを習うか、自分で学ぶ。何かを自分で作ってみる。

それらをすぐさま収入に結びつけるとか、副業にするとかということとも違っていて、もちろん家計の足しになるに越したことはないけれど、もっと漠然とした、自分の振れ幅みたいなものを持つことができるだけでも、大きな意味があると思う。

たとえば、なかなか乗り越えることの難しい局面がやってきても、その時点から慌てて本を読んだり映画を観たり、自分の思いを表現しようとしてみても、間に合わないかもしれない。あるいは、そんなことをしようとする気さえ起きないのかもしれない。

そこまで極端なケースじゃなくても、何か思いもよらないことが、仕事や生活にエスプリを効かせるということがある。そして何らかの分野で活躍している人や実績のある人というのは、そういったものの遠回しな加護を受けているように見える時がある。

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そう考えると、今の僕の生活は、そういった「仕込み」にほぼ全振りしていると言えるかもしれない。

目に見えないくらい小さかった意味や価値を、少しずつ大きくしていく生活。そう言えば聞こえは良いかもしれないが、無論こんな生活は、他の人に気軽にオススメできるものではない!

家族にかなりの迷惑や負担をかけているし、不安と焦燥感もひどくて、自分でも、なんかもっと上手にやれなかったのかよ…という想いが強い。

しかし、それでも「生きていけないよりは何倍もいい」と言い聞かせる。なぜなら僕は、他の誰かが同じ状況に陥っていたら、その人にそう言いたいと思っているからだ。

それは無根拠で無責任で、自分に都合のいい欲求であり、一切の強制力をも持つものではない。

その上で、僕は見知らぬ人に対しても「生きないのではなく、生きてほしい」と身勝手に思う。その人が抱える「生きていけない」は、「(今このようには、これから先を含め)生きていけない」というように、限定的なものである可能性がゼロではない。

そして今後一切悪い変化しか起こらない、などという認識は、端的に確率分布としてあり得ない(「何をやってもダメな人間」も然り)。過去の失敗は事実として消えないが、その意味がほんの数ミリずつ、上書きされていくということもまた、「変化」として十分に起こりうる。

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とはいえ、特に僕のような、自分の世界からすぐ出られなくなる人間には、何を言っても効果がなかったりする。

だからその時に、ほんのちょっとだけ「もしかしたら外の世界にも、自分に都合のいい部分があるのかもしれない」とか「もうちょっと無頓着に生きてもいいってことなのか?」と思えたのだとしたら、それはその瞬間までの「仕込み」が、効いたということになるかも分からない。

この日記もまた、僕の未来に訪れるであろう危機のために、あてどなく繰り返す「仕込み」に過ぎないといえば、それまでなのだった。


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dechi

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