担当者ではある flow2018112701

昨日は動画を1点作っただけで、あとの時間はずっと寝ていた。進捗がある日は繁忙日に、進捗が無い日は休日ということにして、あまり一喜一憂しないように心がけている。

今日からはiPadとMac用のキーボードを接続して日記を作るのを試している。変換などに多少のクセがあるものの、自分にとってはフリックよりも入力がしやすいし、毎日の出勤でノートPCを持ち運びしなくて良くなったことは大きい。もう少し体調が回復してきたら、PythonやUnityは自宅で工作していきたい。

クリスタでもガイドブックに従って、ゼロから絵を描く練習をし始めた。デジタルで細い線を使って描くと一番デッサンが狂うので、これで人体と背景を練習して苦手意識を克服したい。

やりたいことは他にも無限にある。やらねばと思っていることもそれ以上にあるのだけど、潤沢な資源を持て余すのでない限りは、しばらく一点集中で実績を作ることに専念したほうがいいようだ。

それが自分の場合はtwitterとtiktokでの「おえかき動画」なのだけど、これがどう収益になるかとか、仕事に結びつくのかとか、そういう打算が全然できずに、ただ一番リアクションが大きいのでやっているという感じではある。

一つ言えることは、それだけに集中しようとすることで、あたかも一般の人が就労や生活のスキマ時間に作るものに近い水準までには持っていけるのではないかということだ。普通の人が30分で出来る質や量を、3〜4時間以上かければ何とかできる(時がある)。

通常の生産性を持った人たちが選択しないようなことをやり続けるということは、ある種の生存戦略になり得るかもしれない。絵の上手い人はホワイトボードでなんて描いている場合じゃないし、これから絵を描こうという人もホワイトボードではなく正規のツールを選んだ方がずっと良い。

もちろん、普通の絵画に飽きた人や元々ホワイトボード自体が好きな人には同好の士になってほしいけれど、こんな風に生活のリソースの大部分を投入してほしくはない。

つまり社会における何らかの「担当」になるということで、それをニーズとどう結びつけるのか、という問題が立ちはだかるものの、「(結果的にとはいえ)自分にしかできないことを見つける」というフェーズは既にクリアしていると言える。僕は社会における「ホワイトボードおえかき担当」の一人である、とは言える。

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例えばCyriakや井上涼さんのように、根本にはラジカルな表現を持っている人たちが、社会やそのニーズとのピントを合わせることで自らの生業を成立させているのを見て、強い憧れを抱いている。

そしておそらく、才能と呼ばれるものはそのマッチングの領域にこそ深く関わっているものであり、その観点からはっきりと、今の僕には才能がない。

しかし何かの「担当」の一人ではあるのだ。それは「ホワイトボードおえかき」や「おえかき」や「表現する人」に限らず、「日本人」「道民」「男性」「長男」とかでもある。ということは何かの拍子に「担当替え」が起こることもあり得る。

どこまでが与えられるもので、どこまでが選べるものなのかは分からないけれど、こうして自分が何者であるのかを属性として列挙してみて、そこに強烈な不満があるというわけでもないということは、案外幸福なことではないだろうか。

もっとも、「協働不可能者」とか「過剰睡眠者」とか「屁理屈人間」とかの属性に、不満が無いわけではない。しかしそういうことを、もういい歳して呪い続けていても仕方ないというか、生きづらいだけで別にすぐさま死にも殺しもしないのなら、これはこれで何とかやっていくしかねえじゃねえかという、かなり適当な感じになってしまっている。

#日記
#エッセイ

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