flow2019061001

昨日は午前中のうちに両親と行楽に出かけた。現況と今後について、お互い厳しい話をしつつ、その割には楽しんで過ごした。その後、職場に戻って店を閉めるまでの段取りを詰めた。

自分の中で一つずつスイッチが入っていくのを感じる。今年の9月からが最大の山場になるということは、今のうちにどれだけアドバンテージを作っておけるかの勝負ということでもある。

普段は夕食後になると、もう何もできずに一日が終了してしまうところを、勢い余って引き受けたLINEスタンプの線画部分を全て終わらせてしまった。その作業をしながら夫婦で話していたことを少しここにまとめておく。

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僕は子供の頃の経験から、「その場にいない人を悪く言う」という行為に対して過剰な拒否反応を示してしまう。

しかし成人してから、そういった振る舞いは社会においては、あって然るべきものなのだということが分かってきた。

どんなに人格ができている人も、めちゃくちゃに仕事ができる人も、ほぼ全ての人が「その場にいない人を悪く言う」ことを許容して、また自ら率先して行なっている。個人名を伏せ、あるいは隠語を使い、仕事を円滑に進めるための情報共有手段として、それはあらゆる場で欠かせないものになっている。

僕はそれに耐えられないくらい貧弱で神経質だった。「その場にいない人を悪く言う」が社会に不可欠なら、かえって自分が社会に必要ない存在なのだと気が付いた。

しかし、この場合の「社会」は完全な一枚板ではないということも発見した。そこには実は穴ぼこや撓んだ部分があって、自分のとって収まりの良い位置を見つけることができれば、完全に拒絶しなくてもよい環境を作れるようだ。そこで僕は、自分に合った形で歪んだ位置、つまり「その場にいない人を悪く言う」が発生しない位置を、インターネットに求めた。

すると今度は「タイムライン」がつらくなってきた。人が集まれば気の合わない同士もいたり、その人の考えや技術の及ばない場面もある。当然「その場にいない人を悪く言う」や「その場にいる人を悪く言う」が発生して、あろうことか、自分もその輪に参加してしまって自己嫌悪に陥ることが続くようになってきた。

さいわいオフィスのように、現実で一堂に会しているわけではないので、今は色々な手立てを使って「タイムライン」と距離をとっている。必要があってたまに眺めるときも、ある種の傾向が感じられたら、直ちに閲覧をやめて、しばらく時間をおく。そこまで過敏に対応しないと、途端に何も手につかなくなってしまう。

こんなことは「炭水化物を控える」とか「決まった音楽を聴かないと集中できない」といったことと同様、個人的な問題とその対策に過ぎない。「『その場にいない人を悪く言う』が存在しない社会こそがより良い社会である」なんてことは決して言えないし言いたくない。だから自分で、自分一人分でやる。

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就寝後6時間ほどすると、口の中がゴワゴワして寝ていられなくなってしまう。テープで口を閉じて寝るので、部屋の埃が入っているわけでもないし、歯を磨いても、マウスウォッシュを使っても改善しないので困っている。

それならいっそ、いったん起きてしまい、朝の定例作業を少しでも進めてから再度寝ようと思って日記を書いたところ、思いの外つらつらと書いてしまった。表現に問題があるかもしれないので、予定の起床時間のあとに読み返してから投稿すること。

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dechi

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