本当の学力がほしい flow2019012501

木曜日は休日ということで、気になっていたお店を巡るなどして過ごした。内田樹「他者と死者」を読み返すなどした。

事あるごとに、自分の知性の無さを感じる。昨日は同じ境遇の人が2人いて、同じようなことをしているはずなのに、そこに歴然とした差があるのを目の当たりにして、「自分はこの『なぜかうまくいってない』方の人間だ」と思ってしまった。

その理由として、両者のアウトプットに圧倒的な違いがあることは分かっても、その違いは何によって構成されているのか、またそれを自分にどう応用すればいいのかが分からない。それを考えようとすると、頭の中にモヤがかかる。

それでも無理やり文章にしようとするならば、できている人は「知性をコンパスにして積み重ねてきた判断が、印象と内容を整えている」という感じで、何だかよくわからないまま走り出してしまう自分との格差を思い知る。

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「考えるよりもまず実行」がトレンドだとしても、それは知性をもった人に限り有効である。ではここでいう知性とは何か?誤解を恐れず言うならばそれはほとんど「学力」ではなかろうか。

学校の成績の話ではなく、何かを「学ぶ」力があるということ。過去の行動や観察した事象を圧縮・抽象化し、それを自分に宿して再び解凍・具現化する。これができる人たちが、同じことをする人たちの群れから頭一つ二つ抜きん出ている様子をよく見かける。

しかし、その能力は先天的な要素に関わるか、そうでなくても幼少〜学齢期という、およそまともな判断ができない時期の境遇によって大きく左右されてしまう。学力を獲得できなかった人間は、まずその素養を身につけなくてはいけないし、それ以前に学力を(別の名前で呼ぶとしても)欲望として求めなくてはいけない。

学力を欲望する心を手に入れるには、学力による成功体験が必要になる。そのためには何らかの事象を圧縮・解凍し自分に宿すか、あるいはそれを試みることによって成功しなくてはならないが、成功できる者というのはすでに膨大な学力をもった人間ばかりである。

ただし、その場合の「成功」は社会的な成功である。これを個人的な成功やこじんまりとした勝利のようなものに紐づけることができれば、学力強者との争いを避けながら、己の学力を養っていくことができまいか。

イメージとしては最近流行りのゲームアプリで、街ゆく人々を自分の色に染めていくか、自分自身が大きな穴で、身の丈にあった建物を飲み込んで大きくなっていくやつが近い。自分よりも多い・大きな相手に近くとやられてしまうので、まずは目立たぬところで少しずつ実績を積んでいくのがセオリーだ。

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部屋の片付け、なぜか先延ばしにしてしまっている連絡、まずはそういった極めて個人的な戦いを「学力」で制する。異界の魔物を契約と呪文で喚び出すように、圧縮(抽象化)と解凍(具象化・具体的な行動として自ら行う)を己れの術として体得していくことができたら、もう少し「なぜかうまくいかない」を減らしていけるのではないかという淡い期待がある。



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