ものを考えることを仕事にはできない flow2018121401

公募用の作品を描いたので、今日の締切時間までに修正を加えて応募する。結果はどうあれ、躁の後始末を自分で出来たということが嬉しい。

ここからはちょっと静かに生きていきたい。1件は共同企画が進んでいるのでこれは抜かりなくやって、あとはもうすこしぼんやり生きていきたい。

毎日何をするかの予定を立てたり、一ヶ月の長期的な目標を立てたり、そういうことは今後も断続的に続けていくけれど、一日なら一日、一ヶ月なら一ヶ月の間、一定の状態を保っていられるという前提が間違いだった。

つまり「立てた目標に向かって頑張りたい」という状態を、そう長く維持できるとは思わないほうがいいということだ。

もちろん、目標に向かう気持ちがある時なら、然るべき目標を立てて、それを目指すべきであるということは変わらない。問題はその目標が機能する期間が一日だけでもまだ長いということである。

何かを一つやろうとして、それをどこまでやるか決めて、やって終わり。次はどうする。という尺度で生きていくほうが全体の効率が上がる。

毎朝今日はアレをやるコレをやると宣言しても、次の瞬間の自分が同じ考えであるとは限らない。対外的なことは別として、その一日をどう過ごすということは基本的に決めないほうが良いようだし、決めたくなったら決めても良い。

そうすると今ストップしている日報ブログの存在意義が危ぶまれてしまうので、何か別な使い方をしたほうがいいのかもしれない。例えばじぶんコインの動向を伝える「じぶんコイン日報」、その他にも日次でまとめることがあれば別の日報として投稿する。目標は立てなくとも、その日に何をしたかということは報告しても良さそうだ。

***

先日何かの弾みで「自分は頭よりも手を動かしたほうがいい」と発言して、それが実にしっくり来た理由を(頭で)考えていた。

僕はものを考えるのが好きというか、常に色んなことを考え過ぎずにはいられない性質なので、これが下手だということは残酷な宣告である一方、うすうす気づいていたことでもある。

少なくとも、ものを考えることを仕事にして対価をもらうことはできない。この自分の独自の理論(屁理屈とも言う)で誰かの問題を解決できたことがあったとはいえないし、そのために対価を授かるということは考えられない。

その一方で、絵を描いたり楽器を演奏すると周りの人に喜ばれて、挙げ句には対価までいただけるようになってきた。これはとんでもなく有り難いことではあるものの、本人の好き嫌いとはちょっと違ってくる部分がある。

絵や演奏においても、思いつくままに描き殴ったり自作の曲を演奏するよりも、テーマや曲の指定をもらって、それを演奏するほうが喜ばれたりする。

誰かの望むものを、一定以上の質と量で提供できると、それは対価を発生させる。そういうことはデスクワークなどに限った話だと勝手に勘違いしていた節がある。自分のできることで(この時点でデスクワークや人前に出る仕事は除外される)人に喜んでもらえるならば、それが仕事であり、生きるためにしなければいけないことである。ということであれば、この理屈自体にはあんまり抵抗がない。

これはつまり、生きている全ての時間を自分のためにつぎ込みたいというほどの欲求が無いということだろう。自分の生きている時間、つまり命の大部分を、自分の好きな人たちのために差し出しても構わないなーということは、普段からのほほんと思っている。

ただし、そこで出来ることの範囲が極端に狭い。もしもその限定された範囲のことを「自分のしたいこと」と呼ぶのであれば、やっぱり僕は自分のしたいことしかできない。

結局は自分がやれることで、人に喜ばれて生きていきたい。という虫のいい話である。その上で「自分はしたいけど別に人のためにならないこと」ということもあって、例えばその一つが、こうしてものを考えることである。

そんなことに今日も最後まで付き合ってくれたあなたは、本当に変わった人だと思う。そして僕の好きな人たちの一人です。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

イラストやテキストなどのお仕事を、ぼんやり募集しております

ありがとうございます!
12

dechi

flow02

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。