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日記未満: 非日常が終わった日

三年前の今日の夕方、母の心臓が止まった。余命一ヶ月宣告を受けて一ヶ月と一週間過ぎた日だった。その一ヶ月と一週間、ほぼずっと病院に詰めた。その程度の期間だったがゴールが見えているのに中々届かないようにも感じた。この非日常がいつまで続くのか?と思ってた。人はどうであれ生きていくものだ。死を待つだけの日々は異常だ。その死が自分自身でも他人でも。

その日は、姉が少し(東京の)家に戻ったら?(そう言ったのはそのあと入れ替わりに姉自身が埼玉の家に戻りたいから、の口実なんだが)と勧めたので2泊くらいのつもりで東京の自宅に帰る事にしたのだが、家に辿り着いた直後に兄からメールで、急変したと。続いて息を引き取ったと届いた。(今晩、東京に泊まるか)どうするか任せるとも書いてあったが戻ることにした。哀しい実感はないのだが新幹線車内で少し、グッとした。実家に先に既に戻っていて寝かされて白布を被った母の傍に座ったらまた少し気持ちが昂った。父の時は告別式の時に親戚の人に挨拶してる最中に一瞬、そうなった程度だったのにな(とうちゃん、スマヌ)。それでもいろいろ、スッキリしたような気もした。時間は流れ始めたから。通夜や告別式を進めればいいだけになったから。

↑母が最期に育ててた家の周りの花々の一部。

先日、三回忌も済ませた。次は七回忌だが4年先だ。遺品とかほぼまだそのままだけど4年後もそのままかもな。感情的な意味でなく労働的な意味で(処分する時はもう家と共にまるごとの時でいいや的な)

きっと幸せになりますよ(私が