ケセラセラ

なるようにしかならないけどなるよきっと。

山田スイッチさんのコレ見て、すごいなヴァイタリティーあるなやはりと、キラキラの目でこれから眺めようと思った(眺めるだけかいっ)。

うんうん、そんなに沢山はしたことないけど(=それこそHPをゴッソリ持っていかれるから)、持ち込みって結局は縁なんだよね。出版側の事情(経済的な、とか含む)や相手をした編集者の力量(やる気、理解力、先駆者発掘的先見の目の有無他)にかなり左右される。ぶっちゃけ、見る目がない人に当たった事故みたいな場合だってきっと少なくない。それなりに出版の現場に長くいたし今も身近に版元の人間がいる。編集者もピンキリなので、と分かっていても通らないと凹むよね。(てか、1500万?それが何冊に相当するのかわかんないけど印税としたらけっこう稼いでね? 原稿料だったらソコソコの文章量をギャラ化することが出来たよね、って思う)

今は長きに渡っての出版不況なので余計に既に売れてる、売れたジャンル、同類企画じゃないと通らないのではないかと思う。紙の出版は独自で企画とかはもう少なくなってwebとかsnsで既に人気があってある程度の数が見込めるものばかり手を出してる気がする。で、それはだいたい、こんな感じ・ここいらの市場って思ってるのはあるんだけど自分にはそれはあまり向かないんでやんない。

みうらじゅんの「ない仕事の作り方」とか何とかいう本が家に落ちててタイトルしか見てないんだけど、多分その通り。今ある仕事を割り振られるのを待つよりも、ないジャンルの仕事を自分で創出した方が早い、強い、イケてる(吉野家かよ)。でも、それを支持する・理解してくれる編集者が必要だってことでそれに巡り会えないと、凹むループの危険性。ハリポタ作者のように何百回?も持ち込む気力がなければそれまでなんだろね。ナニカに成りたいと思っててそのナニカに成れたヒトって、簡単に言い切ると「辞めなかった」ヒトなんだよね。成れなかったヒトは「辞めた」ヒト。辞めてなければ単にまだ成ってないヒト。だから、ナニカに成りたいヒトはnoteも辞めない方がいいよw続けた方がいいよ。 休み休みでも、ね。

今日のヘビロテアーチスト、JYOCHO。よく知らない、たぶん「宇宙コンビニ」だったヒトとその他。

秋祭りシーズンで毎週近くの神社のどれかで神輿が繰り出す。今週末は熊野神社の祭礼だ。周囲に御神酒だの神輿が既に鎮座しててスピーカーからお囃子が流れている。いなかっぺ大将・風大左衛門だったらふんどし一丁で踊り狂ってるところだが違うし、両耳のヘッドセットからJYOCHOが流れている。


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東池袋52の幸せのセゾンが耳に残る楽曲だったので、東池袋52を女児化してやったもん。

ちび東池袋52


きっと幸せになりますよ(私が