米軍ハウス牛浜

米軍ハウス

セツ(モード・セミナー)に通っている頃、同期に京都の舞鶴の旅館だか料亭だかの御曹司がいた。トラッドをベースにしたおしゃれなヤツだった。2つ年上だった気がする。メンズファッション専門学校とか経由でセツに来てた記憶。絵は下手だったがアパレルをやりたかったっぽい。のちにマイブランドを立ち上げ竹下通りか渋谷の公園通りの何処か(忘れた)に置いてもらってた。でも、しょーじき売れんだろうと思った。いずれ、実家に戻って家を継がなきゃいけなかったっぽいので思い出作りだったんだろう。実力はともかく行動力はある人だった(そういや、その後カウチンセーターとかの輸入とかもしてたな。それを港の税関かなんかで引き取って運ぶのに後述のフィアット800クーペを売って積載力のあるクルマに替えてた)

彼は当初、東洋美術学校だったかそこらに通う友達と一緒に武蔵境に住んでたみたいだったが米軍ハウスの抽選(?)に当たって引っ越した。その頃、私は姉の結婚式でスーツを買わなくちゃいけなかったんだけど母からその意味で貰ったお金を使ってしまった。それで何とか当日のスーツは確保しなくちゃ行けないってことで彼から借りることになった。それを受け取りに彼とともに福生、最寄駅は牛浜…の米軍ハウスに行った。同居の東洋美術学校のヤツは留守だったのかいたのか忘れた。でも一緒の場面を思い出せないのでいなかったのかな? 小洒落た彼らしくモペッドとフィアット800クーペが庭先にあった。

福生らしいところという意味でか、ライブハウスのチキンシャックに行った。ダディ竹千代のバンドが出てた記憶。それ観て帰って彼はベッドで私は床に敷いてもらった布団で寝た。なんか話したんだろうけどあんまり覚えてない。友達が喧嘩で刺されたのを真近で見た、ってのはその夜の話か別の日か。夕食だったか翌朝の朝食か、彼の作った高野豆腐の煮物を食べた。

その後、米軍ハウスに入るような機会もなく米軍ハウスが立ち並ぶところにも行ってない(横田の基地祭に行ったり、その横のR16は何度もクルマで通過はしてるけど)。老朽化が激しく取り壊されたりリフォームされてオリジナルな状態を維持できてるのは殆どないらしい。吉田秋生のマンガ「河よりも長くゆるやかに」とともにこの夜のことを時々、思い出す。

きっと幸せになりますよ(私が