河童になってインドを覗く夢

私の人生に影響を与えた読書体験は、同時に旅行体験でもあった。

10歳の時の私といえば、終わりの見えない退屈な小学校生活にとにかく飽き飽きしていた。やることと言ったら、自転車で行ける範囲をひたすらぐるぐるするか、友達の家でDSに興じるか、家に帰って延々と教育テレビを見るだけ。図書館の本もあらかた読み終わってしまい途方に暮れていたころ、父が数冊古ぼけた文庫本をくれた。図書館の本よりずっと刺激的な背表紙が揃う父の膨大な蔵書のなかから数冊見繕ってくれたものだった。その中に私の人生に大きく影響を与えた運命の出会いがあった。妹尾河童著『河童の覗いたインド』は、作家の妹尾河童がインドを気ままに旅し、訪れた先の思い出を緻密なイラストと軽快な文章でつづったエッセイである。とにかく夢中になって読んだ。読んでいる間、私の心はガンジス川に漂っていた。それ以来インドに行くというのは人生の目標であるが、未だに叶えられていない。

創刊は平成3年。約30年前と言えば、今よりはるかにインド旅行のハードルが高かったことは想像に難くない。さらにはインターネットが使えない状態で旅行に行くなんて、インターネットネイティブの世代からすれば「死」である。じっさい妹尾は旅行中にぼったくりにあったり、下痢の症状に苦しんだりと「死」ギリギリの状態だったことをあっけらかんとユーモラスに告白している。どれだけ面白い経験ができるかに命を懸けている彼の旅は、決しておしゃれでも「映える」旅でもない。鉄道は現地の人と同じ車両に乗ってみるし、ホテルはあえて面白そうなところをとってみる。その自由でマイペースで知的好奇心に振り回されている無計画な旅行スタイルの素晴らしいこと!片手にスマホ、片手に旅行雑誌、首から一眼レフをぶら下げるブルジョアの一人旅のなんと浅いことか、という気分になってくる。彼の変態性はその緻密すぎるイラストに加え、字もすべて(!)手書きだということに現れているが、さらにその書き込まれている情報の細かさにもよく現れている。宿泊した施設の間取りは、窓のサッシの幅のセンチ数まで書かれているし、レストランで隣り合ったおじさんの行動まで描いてあるというもの。彼の変態的な目の付け所が、読書を通してするインド旅行の追体験を何倍も何倍も面白くする。他人の感覚を通して知る外国ってこんなに面白いんだ、と衝撃を受けた。大人になり海外に行けるようになったが、旅行に行くときの心構えは常にこの本を参考にしている。ガイドブックやインターネットで情報を確認し安全な旅をするのも大事だが、私の目を通してでしか覗けないような景色を見てくること。そしてそれを私なりの表現方法で残すこと。この本みたいに、他人が読んで夢中になれるようなエンターテイメント性を加えることができたのなら、最高。旅行を愛するすべての人に読んでほしい一冊。

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