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私は旅に出るのが好きなのだが、決してその旅を自分探しの旅なんて高尚なものだとは思っていない。なんか、このプラットフォームで書くと怒られそうなことではあるが、構わず書いてしまう。

何故、自分探しの旅だとは思わないのか。私の度のスタイルに特徴がある。恐らく、自分探しの旅とやらをやる人はノープランでなんとな〜く放浪している人が多いのだろう。

とまれ、私はなるべくプランをしっかり組んでから出かける。切符の予約や宿の予約。1日の大まかな行程に至るまで。まあいうなれば、普通の観光客と変わらない旅行スタイルなのだ。それが、変な時間からであったり、どう考えても一般ウケしないものであったりするがそこはどうでもいい。

つまりだ。自分探しの旅ってのは、何の枠のない白紙に、成り行きで手に入れた経験という名のスタンプを押してゆくスタンプラリーと言えるかもしれない。

一方で私の旅というのは、予め枠を決めておきそこに、決められたスタンプを押してゆくものだと言えるだろう。もちろん、行きがけの駄賃として色々経験を得ることもある。これに関しては枠外にどんどん押してゆく。こんな感じだ。

旅行とはただの確認の作業だ。というTwitterで炎上した発言があったが、上の文章だけ見るとまあ、その通りに見えてしまう。

しかし確認の作業になんの意味があろうか。ここまで旅に身を焦らし、旅立ちに胸を躍らせる。この心情はなんだ。

私の旅に出る目的は自己満足である。ああ、ここに行きたい。ここに泊まりたい。これを見たい。これらは全て利己心の元成り立っている。

私の旅は利己心の塊であると言ってもよいだろう。とてもじゃないがノープランでなにか見つけられればいいなとほっつき歩くようなのんびりさは兼ね備えていないのだ。

そもそもなのだが、自分と一切関係ない風景や地域をみてそんなところで、自分を見つけるとは甚だ理解し難い。なんだから嫌味な奴に感じるかもしれないが本心である。

確認の作業では無い。自分探しなんてものはしていない。

ただただ、旅をしたい。見たい。食べたい。
私は欲求のままに旅に出かける。

乱文、散文の詰め合わせではあるがとりあえずここまで。

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