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きままな旅行記 Nr.3 中京編

第三回は中京旅行について。

期間 :2022年8月21日から8月24日 3泊4日
目的地:中京エリア
目的 :名古屋/衣浦臨海、春日井/四日市専用線、西濃鉄道etc…
同行者:なし

2022/8/21

今回の拠点は名古屋だ。少々前に、Twitterで評判となっていたホテル京阪名古屋に泊まってみたいということになり、東海ツアーズのあいちずらし旅で新幹線とホテルをセットで予約した。私は鉄道ヲタク。究極のずらし旅が始まる。今回の旅行はとにかくプランを周到に組み上げた。

のぞみ3号 博多行

ではさっそく新幹線に乗っていこう。ついグリーン車への変更料金が数百円だったため、往復グリーン車にしてみた。最高だ。乗車するのはのぞみ3号のグリーン車だ。なんとN700S。素晴らしい。

名市交 6000系 6120H

あっという間に名古屋につき桜通線に乗り換える。久屋大通駅で下車し、ホテルに向かう。荷物を預け、さっそく行動開始だ。

まずは名城線で大曽根駅に向かう。目的地は日本唯一のガイドレールバスである名古屋ガイドウェイバス 通称 : ゆとりーとライン だ。

LJG-HU8JLG G-28号車

自動運転に転換するといった議論がされている当路線。その姿を拝むべく、とりあえず高架区間から、道路区間の切り替え点になる、小幡緑地~龍泉寺口間に向かった。しばらく観察したのち、小幡緑地から高蔵寺方面に向かうバスに乗車した。このバスは途中の中志段味止まりだった。なお、高架区間は名古屋ガイドウェイバスの管轄で、道路区間は名古屋市営交通局の管轄だ。そのため、道路区間では名古屋市営の1日フリー切符が利用できる。わたくしもそれを活用した。さて、中志段味に到着。20分後の高蔵寺行バスを待つのだがとにかく暑い。ということもあり、近くにあるValorに避難した。そこでお茶を購入したのだが500mlで37円。安すぎる。この旅で何度かお世話になることとなった。

購入したお茶をもってバスに乗車。高蔵寺駅に到着した。

愛知環状鉄道 2000系 G2編成

高蔵寺からは愛知環状鉄道に乗車する。もともとはJR東海保有の路線だったのだが、将来性の無さにJR東海はこの路線を切り捨てた。しかし、第三セクターとなったこの愛知環状鉄道は沿線地域の発展に伴い、売り上げをメキメキと挙げ、三セクの優等生とまで呼ばれるようになった少々訳アリの路線である。これを、高蔵寺から、八草まで乗車した。さて、八草で降りたということはあの路線に乗るということだ。

リニモである。撮影できるようなところがなかったため画像がないが、悉皆と乗車した。あまり揺れずとても面白い乗り心地だった。ジブリパークが開園した今、どの程度混雑しているのだろうか。

さて、終点の藤が丘に到着し、東山線に乗り換え。名古屋駅まで向かい、ここからJR関西本線に乗車する。

313系 B518編成

到着したのは四日市だ。ここからはレンタサイクルを借りて太平洋セメント 四日市出荷センターに向かう。

太平洋セメント四日市出荷センター

この四日市出荷センターにはいくつかの機関車が配置されている。訪問の数か月前までは、旧型の機関車が2機いるのみだったのだが、ここに小型の機関車が2機導入された。サイズからして重連で運用されるようだ。早いところ旧型の機関車特にDD452号機を記録しなければならないとして焦ってやってきたのである。(その懸念は杞憂に終わったのだが。)

新型機関車の四-1と四-2(四-1は四-2の奥にいる。)
DD452号機
DD511

さて、DD452号機の様子を見てみるが、動く気配はない。代わりに、日鉱日石 室蘭製油所(現・ENEOS 室蘭事業所)で活躍していたDD511号機が出発位置に就いていた。北海道の釜らしく旋回窓がついている。

DD511牽引

さて出発の時間までしばらくあるので、昼食をとることに。昼食は角源でいただいた。出汁の効いたうどんが大変おいしかった。さて、急いで戻ってくると、ちょうど出発準備が整っていたようだ。

DD511

専用線は道路に沿っているため、自転車で追っかけが可能だ。

DF200-216にバトンタッチ

ここからはJR貨物のDF200にバトンタッチする。

JR貨物から受け取ったタキを牽引するDD511。

DF200が連れてきた積車のタキをDD511は受け取り、出荷センターにもどってゆく。
その姿を追っかけ、四日市駅に戻ることとした。

ここで大惨事が発生。急激に大雨が降りだし、全身びっしょびしょ。生暖かくしょっぱい雨がザーザーと降りつける中、私は自転車を飛ばして四日市駅に避難。自転車を返却した。受付の人に急に降ってきたけど大丈夫だった―?と聞かれ、めちゃくちゃ降られました…。大丈夫じゃないです…。と笑いながら答えた。

JR貨物牽引
三岐鉄道牽引

さて、四日市駅からさらに関西本線に乗り、富田駅にやってきた。
この駅はJR貨物が牽引してきたセメント貨物が三岐鉄道にバトンタッチする駅だ。なぜか石灰石を扱う会社は電気機関車がデッキ式だ。まぁ大好きなので構わないが。この駅で少々見学し、この地を経った。

東海交通事業 キハ11-301
東海交通事業 キハ11-302

さて関西本線を名古屋方面に戻りさらに中央本線に乗車。勝川駅にやってきた。ここから乗車するのは都心の過疎?路線。経済的な事情で変な立ち位置となってしまった高規格非電化単行路線である東海交通事業 城北線だ。どの程度利用者がいるのか全く予想がつかなかったのだが、案の定、利用者はほぼ無し。しかし、地元の男子高校生が通学定期券なのか、勝川駅から乗車したことにはものすごく驚いた。(失礼な)

さて、終点の枇杷島まで乗車し下車した。とにかく、鉄道公団への借入金をさっさと返済してJR東海に編入すべきだと私は考えた。もともと名古屋をスルーするための貨物線として計画された本路線だが、設備増強さえすればもう少し利用者は増えるであろう。そう感じながら、ホテルに戻ることとした。

夕食はずらし旅選べる体験という、あいち冷やしずらし旅についてくる、クーポンを活用した。食したのはエスカ名古屋にある矢場とん。わらじとんかつ定食をいただいた。通常、わらじとんかつ定食は1900円するが、このクーポンを使えばなんと無料。それもノベルティとして大きめのマグカップまでもらえるのだ。本当にお得にいただくことができた。このマグカップは今も愛用している。

2022/8/22

本日も朝早くから動き出す。

KE65 1 KE65 5牽引

尾張森岡駅に向かい衣浦臨海名物の送込を兼ねた重連を撮影した。この列車はフライアッシュと炭酸カルシュウムどちらも積載できる貨車を用いて、日本最大の石炭火力発電所、碧南火力発電所と、三岐鉄道の石灰石鉱山、藤原岳を結んでいる。石灰石を破砕して、生じる炭酸カルシウムを火力発電所で発生する煤煙の脱硫を行うための材料にしている。そして石炭を燃やして発生するフライアッシュは、藤原岳のふもとにある、太平洋セメントの工場で、粘土の代替原料としてフライアッシュセメントを製造しているのである。

この分野に至ってはレポートを作成し、提出するまでこぎつけた、かなり有意義なものとなった。

詳しくはこちらの記事をご覧あれ。
不純物の産業活用|香風音(かふぇいん) (note.com)

さて、衣浦臨海を離れ、次の目的地に向かう。到着したのは、大垣駅。ここから美濃赤坂支線に乗車し、美濃赤坂に向かう。

撮影目標はもちろん西濃鉄道。

と、その前に腹ごしらえ。
昼食は、大垣駅前のスーパー ラ・ムーに、併設してあるパクパクで済ませることにした。ここは100円6個入りの激安たこ焼きが食べみることで有名な店である。6個入りを4パックと、アイスクリームを購入し、アイスクリームはその場で完食。たこ焼きは発車時間までに、電車内で食べ尽くした。
値段が安いからと言ってタコが入ってないなんてことはない。しっかりと美味しいたこ焼きだ。大満足だが少々多すぎたようで、お腹が破裂しそうだ。

DE10 1251号機 秋田臨海鉄道時代
DE10 1251号機 西濃鉄道時代

不思議な縁というものはあるもので、西濃鉄道には秋田臨海鉄道が解散したことによりDE10 1251号機が譲渡されたのだ。そう。あの2021年の仕事始めに脱線した1251号機である。まさか岐阜で再び出会えるとは。元気なようで何よりだ。
秋田臨海鉄道から譲渡されてから、しばらく動きがなかった当機(西濃鉄道ユニオンという組織いわく、事前連絡無しにやってきた機関車だとか…。当該Twitterアカウントは削除済。)だが、訪問直前あたりでようやく、運用が開始されたようだ。

DD451号機

DE10 501も、DD402が少し前に解体され、DD403もそう長くは無い…。なぜならDD451という北陸重機工業製の機関車が6月に入ったからだ。あの会社のことだ。いきなり容赦なく解体するに違いない!!と、半ば不信感を抱きながら、美濃赤坂に降り立った。

さて、周りを見回してみると、DD451とDE10 1251の姿は見えた。しかしDD403の姿はない。やはり西濃鉄道、やりやがったか…。と思いながらも、その姿を探す。何故か自走で入線できない機関庫の方を眺めていると…。

窓からちらっと見えるDD403の文字

いるではないか。ここにいるぞDD403と。静かに歓喜した。

執筆してる現時点(2023年7月初頭)で、調べてみると未だに、DD403は現存しているそうだ。本当に意味がわからない。だったらDE10 501も見たかった!!!も不満タラタラである。
さて、いつまでも、西濃鉄道への文句を書き連ねてもしょうがない。

私が、西濃鉄道を撮影するために、向かったのは乙女坂駅を少しすぎたあたりの場所だ。

石灰石貨車を牽引するDE10 1251号機

やはり担当機はDE10 1251号機。1251号機のナンバープレートは赤い板に数字を書いただけの仮のものを掲げている。

前面の仮ナンバープレート
側面の仮ナンバープレート

一体、元々のナンバープレートはどこに行ってしまったのだろうか?売り飛ばしたのか???

機回し中のDE10 1251号機
機回し中のDE10 1251号機

さて、乙女坂に到着した1251号機は貨車を切り離し、機回し。復路に備えていた。

私は、復路の発車時間までしばらくあることを知っていたのでここで登山を開始した。
この、美濃赤坂という地は美濃灰と呼ばれる、良質な石灰石が採掘できるということで古くから、石灰石を出荷し、河川を通して、港町として栄えてきた。その、採石場を見てみようではないか。というものだ。

その採石場は金生山の明星輪寺の手前の道を逸れた先にある、展望台からその姿を見ることが出来る(はずだ)。

通称、岐阜のピラミッドと呼ばれるその姿を拝むために、猛暑の中、登山することとなったのだ。さあ、カロリー消費だ。と意気込み舗装された急坂をグングン徒歩で登る。コンクリートから反射してくることもありすごく暑い。はっきりいって辛すぎる。何度も休憩を挟みつつ、なんとか明星輪寺に到着。参拝をして、飲み物を買い、休憩。

休憩を済ませると、来た道を少し戻って分かれ道に。展望台方面の道へと進んだ。道なりに歩いた先には、柵で塞がれた展望台があった。どうやら、腐食しており、危険なため封鎖されてしまったようだ。

しかし、私はもう1箇所、開けた場所があることを知っていた。とぼとぼと、ウロウロと、その場所を探した。完全に未舗装で山の中。何となく道っぽいものを辿り、その末に撮影できたのがこの写真だ。

まさにピラミッドといった差し支えない壮大な採石場。これが見たかった。と歓喜した。撮影を済ませるとそそくさと、道を覚えてるうちに下山したのであった。この時の携帯の充電はほとんどない上に、GPSはろくに使えない状況。恐ろしかった。

あまりの暑さにへばりそうになったが、なんとか下山。あまり貨物列車の復路までに、時間は無い。しかし、飲み物を飲まないと本気で脱水になって倒れる。

そう危機感を感じた私はValorに急いで向かった。挙句、携帯の充電もロクになかったため、充電コードも購入。どうやらホテルに忘れてきたようだ。想定外に無駄な出費が発生してしまい少々、凹んだが、何とか水分補給を行い、急いで撮影地に向かうことにした。

石灰石が満載の貨車を牽引する1251号機

急いで向かった撮影地。それは石引神社という鳥居と踏切が共存する不思議な場所だ。遠近感が狂うような写真を撮影できることで有名でかねてより行ってみたかった場所だった。何とか間に合い、無事に撮影を済ませることが出来た。なお、レンズ選択を失敗し、少々位置を変えて撮影した。

さて、目的も達成し、大垣に戻らなければならない。しかし美濃赤坂から出る電車は2時間後。さてどうするか。そこで何があったのか。これに関しては、こちらの記事を参照して欲しい。

無事、大垣駅に到着した私は名古屋方面へと向かった。

旧車中のDD51が連なる。
DD51 1801号機
DD51 1028号機

名古屋まで行く…と見せかけて稲沢で下車した。解体前のDD51などの様子を観察するためだ。

KE65 3号機牽引 貨物列車。

稲沢の様子見も終わり、名古屋を超えて再び武豊線に入った。下車したのは石浜駅。ここで衣浦臨海鉄道KE65型が牽引する貨物列車を撮影する。なお、朝に撮影した2機とは違う機関車が入るため、効率的に衣浦臨海鉄道の車両を撮影できる。重連運用の前側の機体が翌日、この運用に入って3機でローテーションするという運用形態だったはずだ。1年も前の話なのであまり参考にはならないかもしれないが。

さて、撮影後は金山まで戻り、地下に潜ることにした。ちょうどこの時期は名市交の復活黄電が走っていた時期だったのでそれを撮影するために、名城線を乗り回すことにしたのだ。

名市交は、運用番号と呼ばずに、運用記号と呼ぶようで25運用と呼ぶのではなく25記号と呼ぶらしい。他社との違いに惑わされながらも何とか撮影をすることが出来た。

夕飯は世界の山ちゃん 女子大店。予約していたためスムーズに入店することが出来た。もちろん手羽先を頂く。ついでにポテトフライと天むすも…。いかにも名古屋メシだ。最高に美味しい夕食を頂き、ホテルに戻った。

2022/8/23

本日も朝早くから!

この日の名古屋は雨。湿度も高く外に出るのも不快だ。

部屋はキンキンに冷やしていたため、カメラのレンズは外に持ち出した瞬間、曇ってしまった。なんてこった…。

まず私が向かったのは、笠寺駅。この駅は名古屋臨海鉄道が分岐する駅だ。

ND55 27号機
貨車を牽引するND55 27号機

ここで名古屋臨海鉄道を撮影する。少し待つとDD13の態をした古そうな機関車がやってきた。ナンバープレートにはND55 27と書かれている。大歓喜。大当たりだ。名古屋臨海鉄道でも最古参の位置になる機関車だ。どちらかといえば初期型のDD13と近い形態をしている、今ではあまり見られない機体だ。

さて、そんなND5527を、撮影しら、直ぐに名古屋方面への列車に乗車した。下車したのは金山。ここで名古屋名物モーニングを頂く。とは言っても店舗はコメダ珈琲。とりあえずモーニングが味わえればいいのだ。

好きでよく行ってるため馴染みの味だ。モーニングを頂き今度は中央本線に乗車。春日井で下車した。急ぎ足で春日井駅から目的地へと向かう。目の前に踏切が見え始め、そこを走る貨物列車が見えてきた。

ここは王子製紙 春日井工場。日本に残る数少ない製紙工場専用線だ。(愛知電機の専用線とも繋がっているが運転は極わずかである。)春日井専用線と呼ばれるこの専用線の撮影に来たのだ。この専用線の貨物列車は少々運行形態が変わっている。

必ず、貨物を牽引する際はディーゼル機関車を重連にする。また、工場側の設備の都合で貨車編成を二分割にせざるを得ず、出荷の際には2往復するのが特徴だ。輸送量が少ない場合は1往復のみの場合もあるそうだ。

さて、目の前で1往復目は行かれてしまった。しかし2往復目がきっとあるだろう。そう信じて、春日井駅から機関車が帰ってくるのを待った。

春日井専用線の入換機
工場線内に入線

春日井駅方面から機関車が現れ、工場に入線。省線門を閉じる様子はなさそうなので一安心。2往復目の出発を待った。

春日井工場から出荷。
春日井駅へと製紙貨物列車は向かう。
春日井駅側線入線する製紙貨物列車。

程なくして2往復目が発車。撮影し、急いで春日井駅へと。途中でエンジンを切って停車していたのでそこを撮影し再び春日井駅に向かう。予定の都合上、あまり春日井駅に長くは居られないので、春日井駅入線は撮影できなさそう…そう諦めかけた瞬間に、春日井駅に入線してきた。

撮影し、横に入線してきた名古屋方面列車に直ぐに、乗車。なんとか目的を達成することが出来た。


ND55210号機牽引の貨物列車。

再び金山に戻り、ここからは名鉄線を使う。向かったのは柴田駅。ここから少々歩き、名古屋臨海鉄道を撮影した。

柴田駅に再び戻り、聚楽園駅で下車。ここから少し歩いて、アピタに向かった。スガキヤを食べるためだ。地味に行ったことがなかったので食べてみることに。魚介系のスープで大変美味しく尚且つリーズナブル。最高だ。暑すぎたのでアイスクリームも頂き糖分補給も万全だ。

さて聚楽園駅に戻り、新日鉄前駅で下車。ここで、石灰石貨物列車を撮影する。旧型のND55型が担当する場合は重連。新型のND60型が担当する場合は1両で牽引する。なお、この石灰石列車の始発駅は西濃鉄道の乙女坂駅だ。
名古屋周辺は2系統の石灰石列車が走っているため少々混同しがちであるが、西濃鉄道から出荷される石灰石は新日鉄行のみである。

ND601号機牽引石灰石貨物列車。

さて、駅からしばらく歩き、撮影地に到着。やってきたのは…ND601だった。残念。ND55固有の運用があるのかどうか調べてみたのだがあまりよく分からなかった。

さて、新日鉄での撮影を終え駅に戻る。

ND601牽引 石灰石返空

再び柴田駅で下車し、今度は名古屋臨海鉄道の機関区がある東港に向かった。東港をウロウロし、そこから名鉄築港線の終着駅、東名古屋港駅に向かった。やはり暑すぎる。途中で飲み物を買おうとしたが、札は万札しかなく手元にあるのか新500円玉のみ。ダメ元で新500円玉を入れるもやはりダメだった。

名鉄東名古屋港駅。
ダイヤモンドクロッシング。

くたばりそうになりながら必死に歩き、東名古屋港駅に到着。撮影し、大江駅に向けて再び歩き始めた。ダイヤモンドクロッシングを見学しさらに大江駅方面へ…。しかし途中で力尽きてしまった。ということで、バスに乗り、再び大江駅に向かう。快適だ。最初っからバスを使えばよかった。そう後悔した。

MJK-MR1705 102958 39号 矢作建設
WD-H20CA 2676 35号 矢作建設


大江駅に到着し、少々保線車両を観察。しかし疲れもあり細かな観察はできなかった。この翌年に、しっかり調査しているのでそちらで細かくご紹介する。

この後は名古屋市内に戻り、大須観音周辺を観光した。

2022/8/24

最終日。
この日も朝早くから。

地下鉄を乗り回すことにした。目的は、黄電と、駅名改称前の駅の記録だ。
特筆すべきことはない。一つあるとすれば、新幹線の時間が迫る中、荷物をホテルに置いたまま、名古屋駅から、ホームライナー瑞浪に飛び乗り、中央本線の旅を始めた。まぁ時間がないので高蔵寺で降り、名古屋へ戻り、久屋大通駅近くのホテルに荷物を取りに行った。夕飯をとって、名古屋駅に戻り、新幹線で帰宅した。

まとめ

中京旅行は主に変わった交通機関とセメント輸送に着目して進めた。特に藤原岳から始まる、石灰石とフライアッシュ利用は興味深かった。まさに生産地と、消費地がそこそこ近い距離にあるからこそ行える工業、輸送形態でありこれからの日本の工業を考えるうえでとても良い例なのだはないかと感じた。今回はあまりピックアップしなかったものの、中京グルメもたっぷりと堪能することができた。また行く機会があればもっと深堀してみたいものだ。

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