見出し画像

寝台特急を降りるとそこは東京駅だった

令和5年8月5日 午後9時頃
私は、胸の高鳴りを抑え東京駅9番線ホームに居た。手に握るのはサンライズ瀬戸号の寝台券。既に入線していたサンライズ号に乗車する。私が1晩を過ごすのは2号車のシングル車端。いわゆるサンライズ車端と呼ばれる個室だ。サンライズに充当される285系は基本二階建て……なのだが、車端に限り、一階建て、つまり平屋席が存在する。
サンライズ車端は台車からの揺れがダイレクトに伝わる他、連結面からの騒音がうるさいというデメリットがある。
その代わりとして、天井がほかのシングルより高く、個室も若干広いと言ったようなメリットがある。どっちを取るかはアナタ次第?なのかもしれない。
不人気なようで人気な、ちょっと不思議な個室。それがサンライズ車端だ。

さて、出発時刻が近づき神田駅の吉野家で購入しておいた夕飯を開けてさあ旅立ちだ。そんな時に水を差す放送が入る。

「この先の東海道線内で線路内に支障物があるとの事で一時的に運転を見合わせます」

といった内容。
支障物か……。まあ30分もすればなんとかなるだろう。そんなふうに考えていた。
しかし、しばらく経つと事態の深刻さに気づく。TwitterのTLには前面に大きな傷のあるE231系の画像が流れ始めた。そこでまた、車内放送が入った。

「東海道線内、大船駅付近で列車に電柱が衝突したとの事で運転を見合わせます」

列車に電柱が衝突……??大事故じゃないか!?
刻一刻と状況は悪化し、これはサンライズ動けないな……。そう確信した。東海道貨物線での迂回などもありうるがこの様子ではそれも叶わなそうだ。
しかし、運休の連絡は無いため、ホームに出たり車内を見て回ったりとウロウロし、真夜中の2時頃に東京駅から1歩も動かないまま就寝することとした。

さて、一縷の望みをサンライズに託して就寝した。一応、翌朝の動きを円滑にするために翌日の起床時刻は新幹線の始発よりも早い午前5時半頃とした。

令和5年8月6日 午前5時30分頃
起床し、ホームに降りるとそこは東京駅。結局、サンライズ瀬戸・出雲号は全く動かず、完全にサンライズ東京号と化してしまったのだ。
さすがに1晩明けたわけで、新幹線の振替やサンライズが運休であることは決まっているのだろうと思い、ホームにいる駅員に聞いてみた。
しかし返事は、運転再開の見込みは経っていないが、運休ではない。と言った旨の内容。

いやいや……。Twitterで見る限り、JR西日本は少なくともサンライズの運休を認めている。運行会社間での連携が取れていなさすぎだろう……。とにかく下には情報が降りてきていないというのはその場で確定した。

とりあえず、始発の新幹線までには、決着せず諦めて東京駅を一時、出場(事情を説明して外に出してもらった)。代替の新幹線の切符を取るために窓口に並んだ。そこでサンライズと岡山から乗り換える新幹線の切符を無手数料で払い戻してもらい、広島までの新幹線指定券の切符を手配した。本来はこの乗り換え相手の新幹線は500系だったということもあり、正直、ショックだった。

7時12分発。のぞみ9号に乗車し、一路、広島に向けて出発した。実に9時間遅れである。

しかしこれは苦難の旅行の始まりに過ぎなかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?