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グレコ

先日の夜母から着信がありなんとなく嫌な予感がしつつも電話に出ると、叔父が亡くなったという。母から電話がくることはあまりというか殆ど無く、以前かかってきた電話は、父が癌になった時と従弟が亡くなったときだけ。嫌な予感は的中したわけだ。

叔父は仕事を退職した後、昔趣味としていた釣りを再開させていたようで、朝から釣りに出かけたところを波にさらわれてしまったらしい。なんで波が高いのに釣りなんて行くんだよ、、とは思うが。

しかし叔父が亡くなったという話を母から聞かされてかなりのショックを受けている自分に驚いている。何故こんなに心がざわつくのかを考えてみたがよくわからない。親族が亡くなったんだからショックを受けるのは当然だと言われたらそれはその通りだけど。

私が初めて弦楽器に触れたのは叔父が持ってきたグレコのセミアコだ。なんでも叔父が若い頃友人の借金のカタとしてもらってきたものらしい。中学2年のある土曜日、突然それを持ってきてくれた。そしてビートルズのMoneyのイントロを弾いてみろと言われたが、曲も知らないしギターなんて触ったことがないから弾けるはずもない。確か私がギターを欲しがっていることを父か母から聞き、それで持ってきてくれたという話だったはずだ。ともかく私が初めて手にしたエレキギターは弦が錆び放題だったそのセミアコというわけである。

しかしそのセミアコで弾いたのはCとEマイナーとDくらい。Aも弾いたかもしれないがまあそんなもんだ。何を弾いたら良いのかもわからなかったし、コードブックというものを買って弾けそうなコードを弾いただけである。何より私が弾きたかった楽器はどうやらギターではなくベースらしい、、ということに後になってから気づく。結局その後ベースを購入し、グレコのセミアコは特に弾かれることもなくどこかへ行ってしまった。

叔父には小説も何冊かもらった記憶がある。もらったというより勝手に持ってきたのもあるだろうが。覚えているのは手元にある内田百閒の阿防列車。内田百閒がヒマラヤ山系という男と列車の旅をするだけの物語だ。列車に乗るのが目的なので基本的に観光などはしない。なぜそんな小説を私にくれたのかはよくわからないが、今でもお気に入りの小説ではある。

正直叔父からもらったグレコのセミアコよりも、初めて自分で買ったB.C.Richのイーグルの方が自分のプレイスタイルに大きく影響しているし、阿防列車よりも地元の古本屋で買った仮面の告白の方が大事だ。それでもあの時グレコのセミアコを手渡されなかったら、、もしかしたら今の自分とは違っていたかもしれない。そんなこともあり叔父が突然亡くなったのを聞いて動揺したのだと思う。

去年長男と実家に帰った際、父に「そういえばこいつ(長男)もバター醤油ご飯好きなんだよ。昔はよく食べてたよね?懐かしいだろ?」と言うと、父はバター醤油ご飯なんて食べたことがない、と言う。
すると母が「ああ、それは叔父さんが食べてたんだよ。変わったものが好きだったから」と言って笑った。

ご冥福をお祈りいたします。

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