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「勝手に俺杯」勝手に応援

かっちーさんが「みん杯」の主催者だと知ったのは随分後の話である。氏のことは俳句を通してしか知らない。それなのに部外者の自分が何かを言うのはおこがましい気がするけれども、感謝の気持ちを込めて語るのを許していただきたい。

重力の精魂果てて軒氷柱

俳句を知らずに参加した沙々杯で、たまたま同じように氷柱の句を詠んでいたのでこの句が目についた。そして衝撃を受けた。

目の前に氷柱が軒を離れ、音を立てて落ちていく様が鮮やかに浮かんだからだ。俳句とはこんなに臨場感あふれる動的なものかと思った。

この時の氏の心情は自分には計り知れないが、仕事などで非常に疲れていたのではないかと思われる。この句から、自分の皮を裏返しにして何もなくてもそれでも何かを絞りださざるを得ない苦しい経験を思い起こし、ひどく共感した。

この句が氏の句との出会いである。

夜の底ふわり漂う海月かな

旬杯の句である。たまたま夜のプールの底の句を詠んでいたので、ああ、かっちーさんは水底に海月を見つけたのだなと思った。 

海月は自分にとっては柔らかくまだ生まれたばかりの形のないもののイメージだ。何か新しいものが氏の中に生まれたのかもしれない。あるいは、ふわりと漂うのは氏自身なのかもしれない。どちらにせよ、何か新しいものが生まれているように思える。それが骨を育て肉を育ていずれ堅固な形を成すことを祈ってやまない。この句が図らずも「みん杯」最後の氏の句であることは、なんとはなしに感慨深い。

以上は自分の勝手な解釈なので、事実とは異なる場合があることをここであらかじめ伝えておきたい。こちらがそう受け取っただけ、である。

他にも良い句があるのだろうけれども、自分にとって最も印象深いのはこの2句。

かっちーさん、「みん杯」を作ってくれてありがとう。そして、たくさんのクルーの皆様、ありがとう。「勝手に俺杯」を応援してます。

参加した方、携わった方への感謝と声援を込めて。

なお、「勝手に俺杯」については以下をご覧下さい。




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