理想のパスタをずっと探しているけどもう出会えない気がする。ホットミルクは美味しい。2023/09/08

 モヤモヤ悩み続けていた件がすっきりした。
 友達が蒲田のホテルに泊まりに来て、その近くでお昼を食べたい。お店を探すのは私。でも彼女にはたくさんの好き嫌いと、お昼の後推しの試合を見に行くから着色する食べ物は避けたい、一度ホテルに戻ってから後楽園に行きたい、という注文がある。
 今回私が一番気になってたことってなんだったのか、ちゃんと考えた。
1)探してもらってごめん、ありがとうと謝って欲しいのか。(こちらが探した労力に見合うだけの態度をとって欲しいのか。)
2)休みの日にわざわざ蒲田に行く労力に見合わないものを食べるのがだるいのか。(わざわざアクセスの悪い蒲田に行くなら、せめて好きなものを食べたいのか。)

 1を伝えようとすると、彼女の性格に関わることだから、衝突や互いのストレスは避けられない。言ったところで双方モヤモヤして終わるだけ。そもそも言ったからと言ってスッキリするもんでもない。
 私は最初ここのことばかり考えていた。当然八方塞がりで、良い解決策は見つからない。約束自体断ろうかな、とも思ったけれど、じゃあ逆にどうなったら嬉しいか、を考えた。
 そこでふと思ったのが、HARBSに行きたい、だった。彼女が初めて鳥取から東京に来た時、行ったことがあるか聞いたら、「ない!行きたい!」と言っていた。蒲田から近いHARBSはないのか。HARBSのホームページの店舗一覧からしらみつぶしに蒲田駅までの距離を検索し、なんと横浜が蒲田から20分ということにきづく。
 それで彼女に、「蒲田から20分のHARBSに行くことにしてもいい?」と聞いた。そしたら彼女は「いいよ!ありがとう!」と気持ちよく答えてくれたのだ。すごく嬉しくなった。
 それで大事なことに気がついた。感情的なモヤつきを伝えたところで、私が蒲田まで行ってトンカツを食べるという気の重いイベントは変わらない。でも、店の方を変えてしまえば、行くのが一気に楽しみになるし、彼女をせめるのではなくて新規提案にのってもらう(こっちが下手にでる)というやりとりがうまれる。(そう、私はわざわざ休みの日に外食をするならよほどのことがない限り明るくておいしくて幸せな食事がしたいのだ。)
 これって、かなり気持ちいい。しかも、蒲田に行くと思うより横浜に行く方が俄然テンションは上がる。ミーハーだし。それに重いトンカツじゃなくてケーキを食べれる。嬉しい。私は自己中なのだ。自己中な自分を満足させられる選択肢を取る必要がある。

 私的にこれって結構、悩んだ甲斐ある結論だった。要は自分が何を得たいか、で行動を決めることだ。その場の感情や変えられないものをなんとかしようとしても、結局伝わらないし得たいものも得られない。
 これは大発見だった。今後適応していきたい、新しく覚えた思考回路の一つ。

 こうやってみると、秋江くんの常に頭を働かせる態度が、私にとって大きな影響を与えていることに気がつく。
 その場の考えで動かない。何かを外へ出す前に、自分の中で発酵させる。
 おもえば、かつて私に、そんなにすぐレスポンスしなくても、考える時間くらいみんな待ってくれるよ、と言ってくれた人がいた。でもわからなかった。彼は私にとって尊敬すべき人ではあったが、極端だし、学ぶにしても難しい相手だ、私の方が正しい、みたいな凝り固まった考えで、その意見を聞いているふりして取り入れられていなかった。でも、秋江君は、態度で示す。こうしろとは言ってこない。彼がそうしているのを見て、私はこうすれば良いんだと気がつくのだ。
 自分で気がつくというのは大きい。身に染みる。

 これが昨日、寝る前の出来事。

 今朝、きちんと1時間筋トレして体重をはかるときちんとデブ。ウケる。朝の菓子パン予防でおにぎりを食べる。美味しい。

 外はアホみたいな土砂降り。こんな中出社するなんて集団狂気、健気、日本人の勤勉の悲しさ。とはいえ電車は空いてる。うらめしく見る。

 結局欲に負けてココナツホイップのドーナツとやらを買った。あーあ、と思う。トイレで食べようとしたら苦手な清掃員がいる。クマの濃さと、口角も眉も下がった惨めな顔つきが自分に似ている気がして腹が立つ。勝手だ。しょうがないから食べずにフロアへ行く。

 定位置を決めてから仕事がしやすい。タスク洗い出しを自分なりに始めたらわかりやすい。何もかも、自分が気持ち良いかで選ぶべきだ。タスク管理をタスクにしたってしょうがない。

 昼、ケツを鏡に映すと丸くてテンションあがる。いいよデブでも。四角い尻より。鍛える価値はある。

 家族以外と住むなんて初めてで、いつまで続くだろうか、と折に触れて思う。こんなに生活が大切なことも初めてだ。秋江くんにとっては他人と住むのは初めてじゃない。いつだって、崩壊した家庭の周りに、彼を救う他人がいた。
 周りに愛されてきた人間は自意識過剰にならずに済む。やることなすことにコンプレックスがなせる過剰演出を施さずに済む。羨ましいな、と思う。家庭環境が複雑な子ほど異性を惹きつける磁力がある気がしていて、神様はそういうふうに人をつくってるんじゃないかと思う。そうやって割に合わすというか。

 世界堂で秋江くんのキャンバスを買うのは幸せだった。仕事も項目立てたこと全部をやりきって、キャンバスも買えて、嬉しい。

 こうなったらいいのに、本当はこうしたいのに、と言いながらしない親を見てきた。だから、自分もそう思いながら行動しないのが当たり前だと思って生きてきた。
 秋江くんを見てから、嫌ならやめればいい、変えたいなら変えればいい、と気づいた。本当に些細なことから。それで全然、気持ちよさは変わる。
たとえば化粧品のカゴに手を入れると銀の粉がつくのが気になっていた。昨日、それがDiorの美容液の蓋がはげるからだと気がついた。前ならそのままだった。Diorだし、本当は捨てたいけどでもなんかそのまま。で、不快が積もる。
 でも、今回はすぐ捨てた。もう銀がつかなくなる。楽。そういう気持ちよさに気づくこと。自分のかかえる小さな不快を見逃さないこと。それってとても大切なんじゃないかと思う。

 新興宗教を信奉していた親の態度に自分が重ならないよう、注意深く頭を働かさなきゃと、いつも自分を戒める。でも、秋江くんの存在は、とても大きい。大切だ。連絡がないほどに大切が募る。やめてほしい。

 ヴェローチェで机を寄せておじさんたちは、いかついのに、同じように手を顎に当てたり、相槌を打ったりしていて、かっこいい。なんだろう、あの集団は。
 ヴェローチェの絶妙に芋臭く何をしていても許される店内の緩慢な感じがすごいすきだ。こういうところで安心する人間だ。私は。持ってきたタッパーのトマトまで食べた。ミニトマトより、大きいトマトを切った方が断然甘い。野菜を食べるたび、秋江くんが浮かぶ。


2023/09/08 20:26


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