量子力学スピリチュアル本には何が書かれているか(自然科学編)

割引あり

 作品を批判するならまずは鑑賞するべきだ。
 この主張に賛成してくれる人は「嫌いなアニメを批判するために見た」人も大勢いると思われる。意味が分からないと思うが、そういう人種もいる。

 量子力学スピリチュアルを見て物理学者が強い不快感を覚えること自体には深く共感する。しかし批判の内容が「量子論はそうじゃねえ」に収斂するのを見て、これは誰も得しないと思った。

  • 物理学者は「スピが変なこと言ってる」

  • スピリチュアル信奉者は「頭の固い学者が先生の話を聴かない」

 これでは平行線だ。その結果として科学的手法全体に対する不信感がじわりと増すのは、私は見逃せない。
 最初はそういう動機で本を手に取った。
 ところがちょっとこの本はいろいろと面白い。そして読んでいくうちに完全に理解した
 つまり私の主観的には量子力学スピリチュアルを完全に咀嚼・嚥下・消化して排泄できたということだ。
 Catch22 な言明だが、この主張自身が狂っているのはちょっと放っておいてほしい。少なくとも、以下の説明を聞いて「なるほど!これでわたしも量子力学でアセンションできます!」とはならないことを保証する。
 そして本記事を書く理由も完全に変わった。これはいけません。物理学的にも、スピリチュアル的にも、ちょっとやってはいけないことをしている。
 
 まず本稿では科学側(物理学側)から「誠実に書いた本とは思えない。この本を読んで誤解しないわけがないだろう、わざとやってんじゃないの?」という点を指摘する。
 次回で「アホな物理屋が何と言おうと、スピリチュアル的にそれはやっぱりまずい」という点を指摘する予定だ。

 本記事に対する反応は人柱乙!で十分だと思うが、私自身は割と真面目に書いているので、量子スピリチュアル本に何が書いてあるのか気になる人はちょっと付き合ってほしい。絶対に呪ったりしないので。

いわゆる「科学的」な立場から

「波長があう」へのマジレス

 本の内容を一言で説明すると、科学的にはある意味でこれがすべてだ。

 学術用語はしばしば誤解されたまま日本語として定着する。たとえば「運動神経」を「体や内臓の筋肉を動かすための信号を脳から全身に送り、随意運動を起こさせる末梢神経」という意味で使っている人はほとんどおらず、何となく運動スキル的な意味で流通しているのが実態だろう。
 もちろんこれは学術的に言えば間違いで、運動スキルを司るのはほとんど小脳であって末梢神経ごときがどうこうできるものではない。とはいえ医者や神経学者でも「いま言った運動神経っていうのは実は意味が違っていて~」という人はまあまずいない。
 こういう単語は世の中にたくさんあるが、いちいち気にしていないのが現状というものだろう。

 このような例のひとつに「波長が合う」という言い回しがある。息ぴったりのラブラブカップルとかに使うよね。
 この「波長」をあえて「周波数」と言い換えたうえで、さらに「いま言った波長が合うって、具体的には何が振動していてどの波長が合っているの?そしたらどうなるの?」とマジレスしたうえ、それを物理的に解釈しようとした。
 信じてない人向けの雑な理解としては、これが量子力学スピリチュアルだということで概観をつかんでほしい。

量子力学スピリチュアルの中心教義

 では具体的にどのような理論なのだろうか。
 量子力学スピリチュアルの中心教義を3つにまとめるとこうなる。それぞれの言明は理解するというより味わってほしい。

  1. 周波数仮説
    自分の周りに集まってくる人・モノ・出来事はすべて自分と同じ周波数をもっている

  2. 光子仮説
    周波数とはゼロポイントフィールドを揺らすフォトンの振動であり、実は意識や感情の正体はフォトンである

  3. 引き寄せの法則
    高い周波数のフォトンを出すことでいい出来事を引き寄せることができる

 この中心教義を公理とした体系が、いわゆる量子力学スピリチュアルである。なお、それぞれの表題は便利のためにつけた私独自の命名であり、原著には存在しないので注意されたい。
 この理論について以下詳説する。

なぜ「量子力学」なのか?

 スピリチュアルなのになぜわざわざ量子力学を使っているのか?
 この節は私の推測が多分に含まれているが、単に「バカをだますため」だけではないと考えている。著者の主観的には、一回本当にこれですべての説明がついたのだ。

 量スピの教義は3つあると書いたが、そのなかでも「引き寄せの法則」がスピリチュアル的に非常に重要である。この「引き寄せの法則」には様々なバリエーションがあるが、いずれも「願うことで現実が思い通りになる」という主張がなされている。本当なら大変ありがたいことだ。
 引き寄せの法則を提唱したのは別の人である。その原著には、要約すると次のような主張が置かれている。

波長が合う人たちが惹かれあうのは、テレビのチャンネルに似ている。テレビに映像が映るのは、送信側と受信側で周波数が一緒だからだ。テレビのチャンネルを変えるように、受け取る周波数を変えれば見える映像(=人生)が変わる。実は人間も周波数を発しているので、その周波数を変えれば望みどおりに人生を変えることができる。

そっかあ。いいたとえだねえ。

 これ「周波数仮説」じゃん。この辺は量子力学スピリチュアル特有の主張ではなく、わりと伝統的な考え方だった。量スピの本にも大体テレビのチャンネルの話が書かれている。
 もちろん周波数仮説自体は画期的な主張だった。ただみんな納得できなかったらしい。「じゃあどうやったら自分の周波数を変えられるのか?」の説明がいまいちわからなかったのだ。そこで現れたのが量子力学スピリチュアルである
 すなわち「周波数はゼロポイントフィールドを揺らすフォトンの振動であり、実は意識や感情の正体はフォトンである」という光子仮説を提唱することにより、仮説1と3の間を埋めた
 もう少しかみ砕くと「いい周波数」という操作が難しいものと「意識や感情」という努力介入要素があるものを「フォトンの振動」でつないだところに量子力学スピリチュアルの妙がある。著者もとんでもないアハ体験に感激したことだろう。
 つまり量スピ理論によって、引き寄せの法則に具体的な実装がついたのだ。おそらくこれがスピリチュアル界で支持されている理由だと考えている。

「大量の真実のなかに少しだけの虚言を混ぜよ」

 まあこの理論の成否は留保しよう。そこではない。そこじゃないのよ。
 本の書き方が全く誠実でないのだ。科学側からの批判としてはここが最も「やってはいけない」ポイントになる。

 量スピの本はどれも量子力学の説明から始まる。その中身は、専門家からすると疑問が残るとしても、一般人からすれば「ちょっと調べてもまあそうらしいしそうなんだろう」的な説明になっている。そのまあまあ正しい説明に混ざって唐突に光子仮説「意識や感情の正体はフォトンである」と書かれていて、本文のいろんなところで確認的に出現する。ところが光子仮説を支える根拠についてはまるで書かれていない。じゃあこれは著者の仮説なのかというと、光子仮説が明示的に"これは仮説である"と主張している文面は存在しない。まるで Well Known Fact のような顔をしてさらっと書かれている。いくつか引用しよう。

 現在、素粒子は17種類あることがわかっています。
 大きく分けると「物質をつくる素粒子」(フェルミ粒子)と「エネルギー的な素粒子」(ボース粒子)の2種類です。
 電子や原子核の中にあるアップクオークやダウンクオークは「物質をつくる素粒子」。
 いっぽう、「エネルギー的な素粒子」にはフォトン(光子)などがあります。
 フォトンは「光の素」ですが、このフォトンが、やはりここも”主役”になります。
 後ほど詳しく話しますが、私たちの意識や感情の正体はフォトンです。

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p21

 最初の粒は、どこから飛んできたのでしょうか?
 いろいろなケースが考えられますが、私たちの”意識”や”思考”もその一つです。
 意識も思考も”フォトン”という素粒子でしたね。

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p32

いずれにしても「思う」「意識する」「観測する」「意図する」は、フォトン(素粒子)を飛ばす行為にほかなりません。自分では気づかなくても、フォトンを”場”にぶつけているわけです。

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p68

 3か所引用したが実際にはこんなものではない。全書的に繰り返し繰り返し確認的に出現するのに、その根拠は示されない。まさに本全体で「大量の真実のなかに少しだけの虚言を混ぜよ」を忠実に実践しているのがこの量子力学スピリチュアルの欺瞞である。

 まあ量子力学を真面目に学んだことのある人はほんの一握りだろう。何となく独学した人が勝手な解釈をするのは仕方のないことかもしれない。しかし私が批判しているのはそこではない。
 この本は知識のない人を意図的に騙そうとしていると強く推察される。

 というのも、文中には一つの ”仮説” が出てくるからだ。

 このアインシュタインの理論を元にして、私は仮説を組み立てました。
「思いや意識(フォトン)の振動数を高くして強くするほど、場が大きく揺れ、発生する粒も増える。すると、振動数の高い現象が起きやすくなるのではないか」

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p49

 これは明らかに光子仮説「実は意識や感情の正体はフォトンである」を前提にしており、その前提はまるで Well Known Fact のような顔をしてさらっと書かれている。
 
この書き方で、物理学を学んでいない一般市民が事実と仮説を弁別できることは絶対に期待できないだろう。
 はっきりと主張するが、読者が勝手に誤解しているのではなく、最初から誤った量子力学を吹き込むために書籍全体が設計されている。これが大変悪質なのである。

物理学者が論争に負けるのは「真実のなかに細かい虚言を混ぜた」から

 ときどき物理学を嗜んだ人が量子力学コーチに論争を挑んで負けているらしいよ。まあツイッターでみただけなんだけど。
 この本を読むとなぜこのような現象が起きるかよくわかる。全体的な物理的主張が「まあ間違ってはいないところもあるけど割とおかしくて、大筋でもギリギリ見逃せないなあ」という書き方になっているからだ。要するに本職からすると突っ込みどころが多すぎるのである。
 「割とおかしくて」の部分をほんの、ほんの一部抜粋すると

 つまり、量子力学は、素粒子の非常識な振る舞いを解明するための学問なのです。

 では、どんな風に非常識だというのでしょう?
 たとえば、素粒子は「見ていないと消える」とか「観測すると現れる」など、こちらの意図を察知するような動きをします。
 また、素粒子には時間が存在しません。
 私たちの世界では「過去→現在→未来」と時間は連続していますが、素粒子の場合は「過去と未来に同時に現れる」ということも起こるのです。
 さらに、素粒子は変身もします。
 粒だった素粒子が波になったり、粒に戻ったりします。本当は粒ではないのですが、これについては30ページで説明します。

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p20

 どうだろう。ゾワっとしたのではないか。
 でも騙されてはいけない。この部分は量子力学スピリチュアルの教義に一ミリも関係ありません。こういうのがそこら中に散らばっているので、量子力学に詳しければ詳しいほど”的外れな”攻撃を繰り返すことになる。スピリチュアルを信じている人たちからすると、やっぱり学者はまるでわかっていないという印象を強めることだろう。翻って量子力学コーチへの信頼を高めることになるわけだ。
 ついでにいうとさっきの光子仮説の主張にウっとなった人もいるだろうが「ゼロポイントフィールドって場の量子論でいう光子場のことだよね?確かに連続的な振動子を用いてラグランジアン密度を定義しているけどそうじゃなくて……」とやると、負ける。正しいかどうかではなく物理屋のひとりごと扱いされて終わる。こういうのが本当に多い。

 これは私の推測に過ぎないが、おそらくこの理系煽りは筆者の理論設計に入っているだろう。なぜかというと「知らない人には正直どうでもいいんだけどその筋の人からすると明らかに間違っている説明」がやけにちらついており、その説明も筆者が東京大学工学部を出たとは到底思えないものが多いからだ。たとえばこんなものがある。

「ところで、雲は何からできているか、わかる?」
 賢い子は「水蒸気!」と答えます。
「お、ハルトくん、天才じゃん! じゃあ、水蒸気と水蒸気の間には、何がある?」

最新理論を人生に活かす 量子力学的実践術 村松大輔 p25

 舐めてんじゃねえぞ《゚Д゚》ゴラァァァァァァァァァァァァア!!
 雲は液体の水と氷晶が浮いてるんだよ!!!!!

 と、曲がりなりにも気象学修士の私はキレた。ちょっとこれは読んでいて寛容であり続けることが難しい 。
 こういうのが本当にちらつくので(ちなみに生物学者にもキレポイントあるよ♡)、マジで詳しければ詳しいほど的外れなポイントが気になって仕方ない。本丸の本丸を衝くのは感情的に大変難しい。

 かと思えば「フォトンの振動数を高くするほど振動数の高い現象が起きやすくなる」とかいう仮説がデカい釣り針として置かれている。この言明自体は”仮説”として逃げ切れるので、真偽を問うこと自体がミスリードである。その理由は上述の通りだが、仮に「フォトンと感情との関係には根拠があるのか」と指摘しても口頭での議論ではこの仮説に吸収され、うやむやになるだろう。

物理学側の「本当の」結論

 要するにこの本は

  • 理科の解像度が低い人からすると大量の真実に少しの嘘が混ざっていてどれが本当かわからない

  • 理科の解像度が高い人からすると全体的に嘘だらけでどこから突っ込んだらいいかわからない

 という構造になっており、理科に弱い人がこれを読んで正しく理解することは期待できない。そして

  • 「実は意識や感情の正体はフォトンである」という中心教義については全く根拠がないのに各所でしつこく確認的に出現している

 この三点が量子力学スピリチュアルの欺瞞であり、流布してはならない理由の骨子になる。わたしは意図的にやったと推察しているが、仮に無意識だったとしても関係ない。
 この本は最初から、読むことで何かを正しく理解できるように書かれていない。

いわゆる「精神的」な立場から(予告)

 ここまでの主張は「でもこの本を読んで信じている分には別にいいじゃん」と言われれば一蹴されるだろう。
 それでもまだ反論がある。本当にこの本を読めば引き寄せの法則は実現するのか?

 上でさんざん物理的なことを書いたが、わたしは引き寄せの法則自体は否定しない立場だ。経験や心情として引き寄せの法則は『ある』と思っている。
 スピリチュアルと言われても構わない。というか、スピリチュアルの本で『この本は科学的だから再現性がある』と何度も主張しているのに、引き寄せの法則が再現的に実現しない方法を書いているからキレている。神聖なスピリチュアルを食い物にしやがって!ゆるさない!

 では、なぜ引き寄せの法則が再現的に実現がしないのか。
 これは紙面の都合上次回に詳説するが、簡単に言えば

  • 量子スピの努力介入要素は「波長を上げる」一点に絞られている。

  • しかし結局「波長を上げる」方法は抽象的か道徳的注意にとどまる。

  • 具体的に書いたかと思うとすべて臨床心理学における様々な学派の主張のごった煮であり、的確なアドバイスになっていない。

 とまとめられるだろう。(書いてみたらもっと主張が増えるかもしれないが)

 いずれにせよ私はこう思うのだ。


 スピリチュアルが裏切られるスピ本って、誰が得するの?

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