人種差別を行っているのは、日本の黒メイクを批判するアメリカ人

「ももいろクローバーZ」の黒塗りメイクが、人種差別だと物議をかもしているらしい。

アメリカだと黒メイクやらないんだって。黒メイクって人種差別なんだって。じゃあ、いけないのかな……なんて思ってはいけない。

日本でも人種差別だとしたら、おかしな話である。

ラッツ&スターは遥か昔から黒人を貶めて馬鹿にしてきたというのだろうか? そして渋谷で顔を真っ黒にしていたガングロ女子は、人種差別を行っていたというのだろうか?

違うよね。ガングロ女子が人種差別って、おかしいよね。ラッツ&スターだって、黒人を馬鹿にするためにあんな格好したわけじゃないよね。あれ、異国の装いだよね。そもそも憧憬があったから、ああいう格好になるんじゃないかね。

人種差別には前提がある。

1.人種によって優劣が決められるという間違った認識が共有されている。
2.ある人種の肌を提示することによって、その間違った劣性のイメージが集団的に喚起される

アメリカの場合、肌を黒く塗ることによって黒人という人種が示唆される。そして、アメリカでは、

1.黒人は劣等である。
2.黒人の象徴は黒い肌であり、その肌の色は劣性のシンボルでもある

という間違った認識が恐らく共有されているのだろう。こういう状態を、人種差別という。

一方、日本は?

「おまえ、頭悪い。黒人かよ」

なんて物言いが存在するだろうか?

「おまえ、貧乏。黒人かよ」

そんな物言いが存在するだろうか?

恐らく、存在しない。したがって、アメリカの人たちが共有している人種差別のベースは、日本にはないということになる。つまり、アメリカ人の非難とは違って、人種差別の意識は日本にはないということになる。

ある国では、あるものが差別に該当するが、他国に輸入されると差別の意味が完全になくなってしまって、純粋に異文化的な憧憬の対象となるということは、よくある。

たとえば、オタクという言葉。日本ではマイナスの意味がある。差別的な意味合いが込められている。

しかし欧米では、otakuという言葉にマイナスの意味、差別的な意味はない。純粋に異文化として受け入れられているからである。アメリカでは、日本のオタクに当たる差別的な言葉はnerdであり、otakuにはnerdのようなマイナスの意味がない。

日本人にとっての黒塗りメイクも同じだ。つまり、マイナスの意味がないということである。

日本にとって、黒塗りメイクというのは1つの異文化的表現なのだ。そして、それは1つの逸脱でもある。悪い意味の逸脱ではない。日本人からの逸脱であったり、規範からの逸脱であったり、どちらかであるが、そこにマイナスの意味はない。だからこそ、渋谷で女の子たちが顔を真っ黒にしたのだ。

問うてほしい。自分たちが「この人種は劣等」と考えている人たちっぽいメイクを、わざわざ若い女の子がするだろうか? しないよね?

日本では、黒塗りはただの表現にすぎない。憧憬的な表現ですらある。そこに人種的劣性というマイナスの考えは、埋め込まれていない。しかし、アメリカでは埋め込まれている。

どちらが人種差別であろうか? 黒塗りメイクをやってしまう日本だろうか? それとも、それを非難するアメリカだろうか?

アメリカの方が人種差別だよね。

日本の黒塗りに文句を言う欧米人たちは、文句を言う暇があるなら、自分たちこそ人種差別を埋め込まれていることに気づけって言いたいね。アメリカの人たちは、自分たちの根っこに巣くう深い人種差別の意識を猛省しなって言いたい。

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鏡裕之

作家。ゲームシナリオを書いて24年。中世国際政治が舞台となるゲームをつくっています。高校生が城主になって活躍するラノベも書いてます。ゲームシナリオのハウツー本も書いています。拙著『非実在青少年論』の中で、東浩紀のデータベース消費を乗り越えるウロボロス消費を提唱しています。
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