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ポルノはヒーリングシステム

今回は宣言みたいな、そっけない上から目線の書き方をする。なぜ? ごめん、忙しいの。原稿たまってるの(笑)。

男性向けポルノは男性性の回復装置である。と同時に、男性のヒーリングシステムでもある。

ぼくの推測では、女性向けポルノは、恐らく女性性の回復装置になっている。そして、女性のヒーリングシステムとしても機能している可能性がある。

ポルノ以外のエンターテインメントにも、多かれ少なかれヒーリングの機能が備わっている。ポルノ以外のエンターテインメントの場合、ヒーリングの対象は男性だけでなく、女性も含まれる。ポルノ以外のエンターテインメントで特にヒーリングの機能を感じるのは、涙を誘う物語である。涙のカタルシスによって、その人の心をヒーリングするのだ。

全ポルノの中では――もしかすると全エンターテインメントの中でも――美少女ゲームが最もヒーリング機能が高い。だからこそ、泣きゲー(涙でヒーリングするゲーム)が、美少女ゲームから生まれたのだろう。泣きゲーは、バブル崩壊後、傷をいっぱい抱えたY世代(1975~85年代生まれの子たち)の心の傷を浄化し、ヒーリングを施したのだ。

なぜ美少女ゲームから、最高のヒーリング機能を持つものが生まれたのか?

それは美少女ゲームだけが、主観ショットがメインという特性を持っているからである。他のエンターテインメントでは、メインは客観ショットである。部分的&特殊的に、主観ショットが使用される。

しかし、美少女ゲームでは、主観ショットが基本である。背景と立ちポーズを組み合わせた主観ショットによる映像によって、物語のほとんどが語られる。そして、部分的&特殊的に、イベントCGという形で客観ショットの映像が表示される。

美少女ゲーム以外では

客観ショット……メイン
主観ショット……サブ


となっているのが、美少女ゲームでは、

主観ショット……メイン
客観ショット……サブ


となっているのである。

主観ショットは、読者に対して緊張を与えるが、同時に深い没入を促す。深い没入の中で涙を流す場合、客観ショット(三人称客観)の物語を見て涙を流す時よりも没入が深い分だけ、ヒーリングの度合いが大きくなるのである。

さて、ここからは蛇足である。

欧米のキリスト教的倫理観の世界では、ポルノのヒーリング機能に対する気づきがない。evilとbadという、時代後れのイメージばかりがついている。

欧米は、日本と比べると、ポルノやエロティシズムについては後進国である。欧米諸国は、自分たちがポルノ的&エロティシズム的に後進国であることをはっきりと自覚して猛省するべきであろうし、日本のポルノのヒーリング機能について、注目&勉強するべきだと思う。

キリスト教は、非常に父性原理の強い宗教だ。「父なる神」という言葉に、すべてが現れている。神様は父親なのである。日本ではそんなイメージはない。

強すぎる父性原理による倫理的縛りつけでは、すでに現代社会には対処できなくなってきていることに、後進国たる欧米諸国は気づくべきだと思う。父性原理とそれに伴う非寛容のシステムでは、国内も国外もうまく治めることが難しくなっていることに気づくべきだ。そして日本は、欧米に倣って強すぎる父性原理を導入しないようにしなければならない。

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