コンクリート


人は、あらゆる意味で、境界線を引いてきたような気がする。

役割を細分化して、土地を区切って、権利を明確にして、ルールを決めて、時間を割って、

わたしはわたし、あなたはあなた。

境界線を引くことで、効率化したり、明確になったり、コントロールしやすくなったりした。

繋がりは、希薄になった。

そんな気がする。

コンクリートは、現代においてあらゆる土木造作に使用されている素材です。自由に成形できて、強くて安い。でも、寿命は50年と言われていたり、セメントの製造過程で出るCO2は全体CO2排出量の8%だったり、寿命を迎えたコンクリートごみがあまりうまく使えてなくて問題になっていたりする。

このコンクリートという境界線によって、人と大地は分断され、人は土から少し浮いた場所で世界をつくり、暮らすようになったのかもしれない。そんなふうに見えてきた。

建物の基礎はコンクリートを使った布基礎とかベタ基礎とか言われる工法が一般的で、建物の基礎の寿命が50年ということは、現代の家は基本的に50年で建て替える前提で作られているということなんですよね。経済成長のために消費のサイクルをデザインするという意味ではいい戦略なのかもしれないけれど、100年以上経っても住める家の方がかっこいいよなぁ。

家の寿命がきても、柱も壁も、使える材料は再利用されて、他は土へと還っていく。

その生まれてから死ぬまでのプロセスを含めて、日本の古民家って本当美しいなぁと思うんです。

人が皮膚でも呼吸しているように、大地も呼吸しています。呼吸によって土中の湿度を調整したり、空気の好きな微生物が生きることができるようになります。

コンクリートという境界線を引くと、大地が呼吸できなくなります。酸欠です。さらにその上から重たい建築物が載ると、その部分の土は固く締まり、土中の空気や水が通る隙間はなくなります。

身体をペンキで塗り固められて、その上からキツーいストッキングを履いた状態、みたいな感じなんでしょうか。

結果土は腐敗し、根は地中の浅いところで競合し、地下水脈は枯れていきます。

そんな状態は苦しいので、地球はなんとか呼吸しようと山際を崩したりするんですが、崩した側からまたコンクリートで塗り固められてしまいます。

しんどいですよねぇ。

地球とのつながりを取りもどすということは、この境界線であるコンクリートを壊す、ということなのかもしれない。

今日はここまで。

続きはまた気が向いたら書きます

感想を聞かせてくれるのが一番のサポートです◎