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自分の言葉を見つけること

おはようございます。

朝6時に起きると、この季節だとまだ辺りは暗くて、そこからだんだんと太陽が世界を抱擁していく様に立ち会える。

鳥が鳴き始めたり、一緒に寝ている猫が起きたり、またこの世界にいのちが宿る。

そんな贅沢な1日の始まりを感じているいまいまです。

「朝早く起きるとこんなに美しい世界が待ってるよ」
って毎朝布団から起き上がるか迷う自分に教えてあげたい。

二度寝したら身体が重くなって、起きるのがもっと大変になって、時間の余裕もなくなって、結局その自分に嘆くのに、それでも夢の続きを見たくなる布団の吸引力はすごい。

脳みそってのは5秒時間を与えると「やらない理由」を探し始めるので、「目覚めたらすぐ立ち上がる」みたいなルールを決めるといいみたいですね。


最近、「文章を書く」ということに少し意識を向けはじめました。

学びのインプットは好きなのでよくしてるんですが、アウトプットの量はそんなに多くなくてバランスが取れていない感じ。何事もバランスは大事。

それでアウトプットっていろんな形があると思うんですけど、僕にとって今のところやりやすいのは文章を書くことかなぁと。

ところがしかし僕は結構完璧主義っぽいところがあるようで、なかなか納得できずに作成途中で世に出さなかった記事が大量にある笑

というわけでnoteはある意味雑に、ある意味ありのままの、ととのえる前の脳の中を出していく場所にしよう、と思っているのです。


言葉という箱

前置きが長くなったけど、そんなわけで今日のテーマは「自分の言葉を見つけること」。

言葉って、その言葉自体に意味があるというよりは、意味を入れる箱のようなものだと思うんです。

その人にとっての完全に言葉にはできないふわふわとした雰囲気や、感情、身体感覚などを、過去の言語にまつわる経験や知識と結びつけて、その人にとって一番近い言葉に、言葉にできない質感を詰め込む。

つまり、言葉よりも前に、「言葉にならない何か」があるはずで、それを伝え合うために「『嬉しい』はこういう感じ」「『暖かい』ってこんな感じ」という共通認識(=言葉)を使っているのかな、と思っています。


"質感"が全てを決める

で、この「言葉にならない何か」がめっちゃ大事だよね、という話です。
便宜上「言葉にできない何か」を”質感”とでもいいましょうか。

職場で毎日自動的に口から出ている「おはようございます」とパートナーや愛猫に言う「おはよう」って、同じ言葉でも全然違う感じがしますよね。

それはつまり言葉に込められている"質感"が違うってことなんですね。

何を言うかではなく、そこにどんな"質感"をのせるか。

この"質感"は、「言葉」というレイヤーでは見えなくても、仕草や表情、その音の発し方、どんな言葉を並べて文章を構成するかといったところからにじみ出ているものだと思います。

コピーライティングも好きだし、まとまっていて読みやすい文章もすごい好きなんだけど、僕が心を動かされるのは、イキイキとした"質感"が感じ取れる文章なんですよね。

だからこの"質感"をもっともっと育みたいなぁ、と思うんです。

そのためには学んだことを噛み砕いて、自分の一部にすることだったり、マインドフルに感覚を研ぎ澄ますことだったり、自分の内側の声を丁寧に聞いてプロセスしていくことだったりが役立つのかなぁ、と思っています。

でも、他にも色々ありそう。いいアイデアあったら教えてくださいね。


そして、使っている言葉と"質感"の間に乖離がある時、人はそれを違和感として敏感に感じ取れるんだと思います。

「言葉は綺麗だけどなんか違和感があって言葉通りに受け取れない」
みたいな。
逆に
「言ってること無茶苦茶やけどすげぇ響く」

みたいなこと、よくありませんか?

"質感"にまっすぐな言葉を当てはめることを、僕は「自分の言葉を見つける」と呼んでいます。

自分の言葉が見つかった時は、きっとしっくりくるはずです。思考ベースではなくて、身体感覚として、しっくりくる。


アウトプットの話

アウトプットをするにはインプットが必要で、インプットという材料を自分というシステム解体・合成・変換し、アウトプットという作品が創造される。

この時材料を噛み砕き切って、自分の一部にする、ということができたら、自然と自分の言葉を見つけられるのかな、と思っています。

自分の一部になってないままにアウトプットすると、それは他人の言葉になってしまいます。

「守・破・離」で言う所の「守」。

もちろん、悪いことではありません。むしろ必要なプロセスなんだと思います。そして、そのアウトプットもきっと十分に人の役に立つものです。

でも、「守」のための「守」を繰り返していてもきっと前には進めない。
「破・離」を見据えた上での「守」である必要がある気がしています。

インプットを噛み砕き切って、自分の一部になっているから、言葉に"質感"をのせられる。

僕にとっては、「噛み砕くためのアウトプット」としてのnoteなんだろうなぁ。


そういう感じで最近は、「自分の言葉を見つける」ということに奮闘しています。

まだまだ自分の言葉は見えない部分が多いんだけど、ちょっとずつでも自分の"質感"を育んでいきたいなぁ、と思う日々です。

そのカケラをこれからもこのnoteで書いていくので、どうぞよろしくお願いします。


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