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人生に新たな世界観をインストールすることの効能


「人は、見た世界を認知しているようで、実は認知した世界だけを見ている」

僕の好きなとあるアーティストの言葉です。ああ、本当にそうだな、と思いました。
その人にとっての認知の枠組みの外にあるものは見えないし、存在しないことになっている。

そして、認知の仕方が変われば、解釈の幅も、行動の質も、全て変わりうるんですよね。


僕がパーマカルチャー的な暮らしに初めて出会ったとき、それはそれは衝撃的だったのを覚えています。
僕のそれまでの人生に全く存在していなかった生き方を、初めて認知した瞬間でした。
農家さんでもなくて、大工さんでもなくて、自分の暮らしを自分の手でつくって、大きな家族みたいなコミュニティの中で支え合い、幸せそうに生きている人が目の前にいる。
どっちが正しいかではなく、両方の気持ちを大切にしようとする文化に基づく対話が目の前で交わされる。


当時就活を考える大学生で「農業はロボットがやればいいっしょ」くらいに思っていた僕にとって、自分とは全く異なる世界観との出会いでした。
「こんな世界があったんだ」
驚きと感動とワクワクが混在しているような感覚。
自分の世界に新たな世界観が追加されたような感じです。

この「自分のワールドに新たな世界観がインストールされること」って、すごくお得なことだと思うんです。自分の世界で起きている事象を捉える視点が増えていく感じ。
別に一つの世界観に固執する必要はないんです、同時にいくつもの世界観を内在させながら、統合的に世界を捉えていく。

世界の捉え方が広がっていくことで、人生の中で発生するイベントや選択に対して、解像度が増したり、奥行きが出たりしてくわけです。
そして認知の質が変わることで、その解釈の幅も広がっていくし、解釈が変われば行動も、脳の神経回路も変わっていくわけで、どんな人生を生きるかに結果的に大きく関わっているんです。


この、世界観をインストールする方法ですが、一番純度高くインストールできるのが、その世界観を持つ相手と同じ時間を過ごすこと。
その人の選ぶ言葉、在り方、間、纏う空気、あらゆる情報を全身で体感して、その人の存在を全身で食べることで、自分の中にその人の世界観が構築されていくんですね。


そして、僕が今一番の希望と可能性を感じて探究し続けている世界観が「暮らし」「意識」という切り口から世界を捉えていく、という道です。
実験と実践を繰り返す中で少しずつ体系化され、形になってきた実感があります。

後藤 志果 と共にこの道を歩みはじめて3年。 僕らが深めてきた世界観とありったけの想いを込めて、はじめてのプログラムをようやく世に放ちます。

これは、いのちの源を憶い出していく旅であり、同時に僕らがこの3年間醸成してきた世界観を分かちあっていく旅でもあります。


多大な時間と、エネルギーと、気持ちを込めて二人でつくったwebサイトなので、ぜひ見て、感じてもらえたら嬉しいです。

これを書きながら、ありのままをオープンにしていくことの怖れと、ありのままを共に分かちあう仲間が増えていくことへのワクワクする気持ちの両方を感じています。

限られた枠の中ですが、縁のある人と出逢えることをとても楽しみにしています。!◎

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