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【どちらが正しいか、の世界】

先日、久しぶりに家族で大阪・神戸に
旅行に行きました。
 
海遊館という大きな水族館に行った際に、
3歳の双子世話疲れで、水族館から最寄りの
駅までタクシーを使うことにしました。
 
1メーターくらいの距離だったので
「近くて申し訳ないのですが弁天町駅まで」
と言ったところ、運転手の方が
『ハァ?弁天町駅?弁天駅やろう!
 ほんまに弁天駅なんか??』

「あ、すいません、違います。
 大阪港駅です」
 
『なんやねん歩いた方がええやんけ!』
 
 
信じられない言葉を受けましたが、
折角の家族旅行、まして3歳の子供たちに
嫌な思い出を残したくはなかったので、
何事もなかったかのように振る舞いました。
 
ただし、会社名と運転手名をスマホにメモし、
後日クレームを電話するために控えました。
 
 
さて、もう3日過ぎたのですが、
クレーム電話は止めました。
・今更心地悪い感情に浸りたくない
・むしろ言わないことで運転手の罪が残る
・運転手にもなにか事情があったのだろう

そう判断しました。
 
 
今日お話ししたいことは
正しいのはどちらか、の世界』にいると
どれだけ自分が正しくても、結局それは
相手を曲げることになる」ために、
相手は決して心地よい感情を残さない世界を
創り出してしまう、ということです。
そしてどちらかに負の感情を遺し、
最終的には「戦争」に行きつきます。

 
それよりももっと大切なのは
心地良いのはどちらか、の世界』です。
たとえ相手と心地良さで「競争」しても、
相手を曲げることにはならず、最終的には
「個性」「嗜好」「多様性」「調和」に
行きつくのです。

 
だから、わたしは運転手の行いを責めず、
それよりも心地良いことで今この瞬間を
満たすことにしました。
 
「でもそれだと、ほかのお客さんも
 嫌な思いをすることになるのでは?」 
という意見もあるでしょう。
 
ただ、わたしは「そうならない」、
または「良い方向に向かう」と信じます。
なぜなら、わたしが運転手の行いを
責めず、赦したからです。

 
そうなると、運転手側の「良心」が
必ず動き出します。人から責められずとも
自分で反省するような方向に向かうのです。
とても不思議ですけど。
 
 
正否、不足、強制の世界から
快適、充足、調和の世界へ
自分自身の人生を持って行きましょう。

 
最期に心から笑えるのは、
後者の世界ではないでしょうか。
 
それを伝えに、わたしは人々の輝きだけ
フォーカスして、増幅させて、
満ち満つる成功を共創してまいりますね。
 
 
◎今日のひとこと◎
 
「幸せとは、
 あなたが考えることと、
 あなたが言うことと、
 あなたがすることの、
 調和が取れている状態である。」
 
  マハトマ・ガンジー(インド独立の父)


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