見出し画像

わたしのこと①


共感=辞書によると、他人の意見や感情など
にそのとおりだと感じること。
またその気持ち。「共感を覚える」「共感を
呼ぶ」とあります。



私の人生は人並みと言えるところから大きく
離れていました。

だからこそ、つらい経験をして生きてきて、
誰にも言えず理解してもらえない悩みや
思いを受け止め、共感し、本来の輝くような
その人自身を一緒に探求し取り戻す
お手伝いをしたいのです。



つらい経験を乗り越えてきたからこそ、
感じる世界があります。


苦しみや悲しみがわかる分だけ、相手や
自分を思う愛に繋がります。


ただ、環境や境遇で本来の自分を見失って
いると、生きている間ずっと息苦しさで
自分のことも好きになれず、誰からも
愛されない。
誰も愛せない。本当の愛が分からず苦しい
日々の連続なのです。




私は次女として生まれました。


第一子は男の子で真夏に生まれ、生後
一週間で亡くなりました。
その時の両親の気持ちを思うと、深い
悲しみと絶望で胸が苦しくなります。



その翌年の秋、長女が生まれます。

元気にすくすくと育ち、幸せの最中、
2歳くらいから他の子が容易にできる
ことができないことが分かりました。

両親は育て方が悪いのだろうと、しつけと
して厳しく教育するようになりました。



姉と私は4歳、年の差があります。


母が私を身ごもったと分かった時、夫婦で
話し合い、長女に手がかかるので、とても
苦しい選択だが中絶しようと決めたのです。



そのころになると、姉が知恵おくれと
周りから馬鹿にされたり笑われたり
するようになりました。

落ち着きがなくなり、常に目が離せず
生活面でも手がかかるようになりました。
(40数年前は発達障害という言葉も 
ない時代でした)

両親は姉に障害があるなんて微塵にも思って
なかったので、日に日に出来ないことが
増えていくことに戸惑いを感じていました。


私をおろすと決め、いざ病院の手術台に
上がった瞬間、母はどうしても生みたい!
と思い、逃げるようにして病院を立ち
去ったそうです。


父は、中絶するため会社を休んだのに
どうしておろさなかったんだ!としばらく
母を責めたと言います。
(どちらの実家も遠方で、身近に親しい
知り合いもおらず手助けしてくれる人が
いませんでした)


私は細胞レベルでその当時から深い悲しみを
覚えることになりました。




つづく。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?