アンガーマネージメントなんてクソ喰らえである。

俺は怒る事が苦手である。

俺を知る人で俺が怒っている瞬間を見た事のある人は、多分ほとんどいない。もしあったとしても、大抵はスプラトゥーンでめっちゃ負けた時くらいだ。

なので、たまに、本当にたまにだけれど、怒れる人に「俺の代わりに怒ってくれてありがとう」と思う事がある。きっと怒っても良い事はそんなに、あんまり無い。でも不思議と、俺の事を怒ってくれたらどれだけ良かったのに、と思う事は、ある。たまに、本当にたまにだけれど、ある。

あの時、怒っておけば良かった。と思う記憶がいくつかある。手酷い出来事で信頼する事が難しくなってしまった時、怒っておけば違う気持ちになれたかも知れない、と思った事もあった。どうせもう二度と会わない無礼者がまたどこかで同じ事をしているかも知れない、と思うくらいなら怒っておけば良かった。でも、もう怒れない。思い返して少しだけ哀しいな、と思うだけだ。

でもまぁ、内心で怒っていないわけでは無い。そう言う時の俺は、多分だけど、怒っているというより「恐ろしさ」が全身からうっすらと、静かに漂っているのではないかと思う。

最近、かなり内心では怒る事があった。それは出来事そのものよりも、それで平気な顔をして詫びなかった事に対してだ。謝る事が難しい事はよく分かっている。俺は苦手だ。でも、謝る事、詫びる事はとても大切である。同じくらい謝らない事が大切なこともあるけれど、それは難しい事だから、仕方ない。

内心を抑える事が難しく「気に食わないっすね」と口にしてしまった。多分だけど、言わなければ良かった。怒りを少しだけだけど露わにして、それでもモヤモヤしてるのだからやっぱり良いもんじゃない。

俺がしたいのは、何故そうなったのかを聞きたいだけなのだ。

理由が分かれば、もしくは分からないけどそうなってしまったのであればそれはそれで良いのだけれど、理解する為の扉が少しでも開くのであれば、あとは溢れ出る困難を少しづつ、少しずつ、ほどいていくだけなのだから。

怒りは杭のようなものかも知れない。杭を打ったから、振り返って、ふりだしに戻って、刺さった杭を抜く事が出来る。杭を打たず、悔いを残すよりはいくらかマシかも知れない。

上手いこと言ったところで、寝ます。今度顔を合わせた時には、悔いを抜く為に頭下げてから話そう。

……いやまぁ、こっちが引くような話じゃねぇし、そいつは別にどうでもいいヤツなんだけどね。ぶっ飛ばしてやりてぇ

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