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吐き出した文章がエモいかどうかと、吐き出し装置としての自分がエモい状態にあるかどうかは、実際あんま関係なかったりする〜2019年5月のまとめ

大型連休から先週末までずっと、とある原稿の1章に取り組んでいた。まだ第1稿だけど、これで構成上は本文の半分まで来た。ひさびさに(出来とは無関係に)のめりこむ感覚があった。

わたしは平易な文体より、ややかための文体のほうが、取り組んでるときの気持ちの没入度は高くなる(気がする)。昨年の初著作は、さくさく読める文体をめざして書いたのだけど、編集氏に「あの、これ、悪い意味で言うわけじゃないですが」と前置きされたあとに「シンドラー(主人公)をあれだけ追い詰めておきながら、かげはらさんはぜんぜん平気そうですね」と突っ込まれたことを思い出す。そうかも。吐き出した文章がエモいかどうかと、吐き出し装置としての自分がエモい状態にあるかどうかは、実際あんま関係なかったりする。演奏家もそうなんじゃないかな。わたしはそもそも没入できるレベルで楽器を弾けないので、想像だけど。

あと、勉強しながら前に進むことの精神衛生のよさもデカい。同じ地点をぐるぐるぐるぐるしてる文章はアウトプットの地獄みがつよい。ちなみに読むのはわりと好き。

そういうわけで5月も終わり。この原稿以外には、隔月の連載を1本あげて、使いやすさに惹かれてnoteをはじめたりもした。6月は、

・原稿のつづき
13日の講座とその準備

がメインになりそげ。もちろんこの周辺にとりまくものはいろいろいろいろあるけど(なんといってもだいじな本業がある)、落ち着いて取り組めるのは周りの人たちが配慮してくれているおかげだし、こういう時期がずっと続くとは限らない。大事にしなきゃなと思う次第。

写真は、連休中に息抜きにおでかけした長瀞。そして、通勤電車片道でこのくらいのボリュームは書けることがわかった。よしよし。

#日記 #エッセイ #文章