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バイオアート 1 〜フェイクフードへの抵抗感

今回から数回に渡っては、バイオアートについて取り上げたい。

 先日テレビの特集で、アメリカで圧倒的に食べられているものと言えばハンバーガーなのだが、そのハンバーガーに挟む肉について、異変が起きているとの特集が組まれていた。

 通常だと、牛肉の挽肉が使われるはずだが、結論から言うと、牛(もっと言えば動物)の肉ではなく、植物性たんぱく質に、赤身、つまり血の中に含まれるヘモグロビンの主成分を人工的に合成した物質で味付けしたフェイクフードをハンバーガーに挟んでいるのである。

 生物科学の進歩はいまや様々な分野に及んでおり、私たちが普段口にする食品についても、こうした科学的に合成された人工物が存在感を高め、市場のシェアも近い将来拡大していくのは当然予想はできる時代になってきた。

 ただ、これまでの動物や魚、農作物が私たちの口にする食べ物であるという既成概念はまだ根強くあり、このような人工的な食品の製造過程を聞くと、抵抗感があるのは私だけではないだろう。

 フェイクフードだけではなく、例えば遺伝子組み替え野菜などについても、同じことがあった。有機野菜については、栄養価が高い等のメリットを喜んで受け入れた私たち消費者は、なぜか遺伝子組み換え食品となると、食して何か影響はないのか、そもそも遺伝子組み換え食品は必要なのかといった抵抗が社会的に現れたのは、記憶に新しい。

 さて、そもそも私達はなぜこのような科学が介在した、非天然の食品に対して抵抗があるのか。それはおそらく、私達が一定の固定的な倫理観に縛られているからだが、私達人間が恣意的に作り出してきたその倫理観がどれだけ当てにならないものなのかということを批判する手法として、文章で批評するのではなく、アートの形で問題提起していく、それがバイオアートなのである。

 「バイオアート~バイオテクノロジーは未来を救うのか。」(ウィリアム・マイヤーズ著。BNN新社)には、様々なバイオアート作家の作品が紹介されている。科学的に合成された野菜、肉等の食品に関する作品もその中にはある。

 アートにより既存の概念への問題提起を行う活動は、かつて生まれた第一次世界大戦後のシュルレアリスムという考え方、活動にも似ている。シュルレアリスムは、超現実主義と訳されるように、現実を無視したまるで夢のような世界を第一次世界大戦後の現実世界への不信、不安に基づいて描くことで、現実世界にある既成概念に対する反抗的、批判的視点を提示する活動であった。近年のバイオアートにはこのシュルレアリスムの系譜が脈々と受け継がれているといえる。なぜならば、バイオアートは、人間の活動が自然界に決定的な影響を及ぼす時代である人新世に突入したという認識を前提に、科学の進化の結果として派生した文化的な混乱に応えるために生まれたものであるからだ。

 さて、今回冒頭で述べたような科学的に合成された食品に関するバイオアート作品として紹介したいのは、ウリ・ヴェストファルの作品である。

 「Mutatoes(ミューテイト)」は突然変異形の野菜を集めて写真に撮ったものである。また「Lycopersicum(リコペルシクム)」はこれの流れを受け継いで、形も色も大きさも多様なトマトを集めて写真に撮ったものとなっている。最後に「Supernatural(スーパーナチュラル)」は、自然を描いた食品パッケージをつなぎ合わせた絵である。

 これらの作品によって気付かされることは、私達が「普通」と思っている食品を作るために、いかに現代農業が突然変異や多形性の発現を防いできたかということである。これが自然の産物と思っている形、それ自体が既に人間の手によって制限され、既定されてきたものであったか。そして理想化されたモデルをつなぎ合わせたパッケージの図柄にむしろ恐怖すら感じられる奇妙さを見て、私達はこれまで見ないようにしていた人新世への進行がもはや止められないものであることへの覚悟を求められるのだ。

 食品については、人口増加が進む途上国での食糧難を背景に、人工的に合成できるのであればそれは好ましい科学技術の成果だとの評価もある。また、冒頭のような植物性たんぱく質を使ったフェイクミールは、肥満予防にもなり、健康にいいとの見方も製造の出発点であった。必要なのは、物事を多面的に捉えることであり、何かについて抵抗感を覚えたのであれば、それを深く掘り下げて考えれば、新たなパラダイムのシフトにつながるチャンスにできる。そのようなチャンスをバイオアートというチャンネルは私達に提示しているのだ。

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