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写真批評 サシイロ 11 〜日常と非日常の境界

須田一政の「風姿花伝」は面白い写真集だ。何が面白いのかというと、ごく普通の人たちが異様な空気を発しているからである。
写真評論家の飯沢耕太郎氏は、須田一政のことを、日常に潜むアニミズムを撮る写真家と呼んでいる。それはもはや日常見ている人や光景ではないので、須田一政のことを非日常を撮る写真家と呼ぶ者もいる。

須田一政の写真を見ていると、アニミズムというものは、何も人里離れた自然の中に行かねば撮れない(見られない)ものではないということがわかる。そして、それは何も民俗的な儀式等にも限らないということもわかるだろう。

日常の中に潜む非日常を捉えるのは、なかなか難しい。それはいつどこで、現れるかわからない。そういう瞬間にいつでも反応できる敏感な美的感覚を持ち、いつ何時もカメラを携えていなければなるまい。

そして、これが一番大切なことなのだが、日常の暮らしに対する愛情が必須である。
なぜなら、日常の中に潜む非日常に反応できるようになるには、まずは日常が見せる表の顔に十分に慣れ親しまなければならないからだ。そうでなければ、ポッと現れた見たことのない非日常に反応できない。

須田一政は、カラー写真でもこうした瞬間を切り取ることに挑んでいるが、私はモノクロ写真の方がよく現れているように思う。
モノクロ写真の特性については私の写真批評サシイロ1に述べた通りだが、日常に潜むアニミズムは、誰の目にも等しく捉えられるほど通俗的には現れない。あくまで一対一、先に述べたような鋭い感覚を持つ撮影者にだけポッと笑顔を見せてくれる、気まぐれな子供のようなものなのである。
モノクロ写真は対象と被対象との関係性を際立たせる特性があるので、日常に潜む非日常を撮影したい志のある者は、モノクロ写真に挑戦するといい。自分と対象との距離に気付き、距離を縮めるには日常を愛するしかないことがわかるだろう。

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