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恋をしそうな時って、こういう時だったっけ?

 久しぶりに、心ときめく瞬間を持った。客を待って待機している間に、同業他社の女性ドライバーに話しかけた。打てば響く様な反応の速さに、心地良さを感じた。ついつい話し込んでしまった。しばらくして、自分の車に戻った。その後、彼女も、しばらく同僚と話をして自分の車に戻った。私は、何とかして私の連絡先を渡さなくては、と焦った。あれやこれやと思案を巡らせたが、いいアイデアが浮かばない。彼女に渡すメモは準備した。後は渡すだけ。しかし、そこで、はたと考え込んでしまった。

 まず、彼女と言っても40過ぎである。しかも、亭主も子供もいておかしくない。さらに、私は66である。それだけでも。26歳は歳の差がある。さらに、さらに、さらに、etc…、etc…。30歳台の私だったら、亭主持ちだろうが子持ちだろうが、行動に移っていた。しかし、今は分別のある年齢。

 そう考えると、身体は動かなくなってしまっていた。そこで、囚われていることから一旦、心を離した。私の心が囚われている話題とは違う必然性のある話を、思い出した。そして、彼女の方へ歩み寄り、今彼女が、この場面で直面している問題の解決策をアドバイスしてあげた。彼女はすぐに行動に移し、直面している問題を解決して戻ってきた。私も彼女の元に歩み寄った。二人は、私のアドバイスで問題が解決されたことを喜んだ。そして、別れた。連絡先を書いたメモを渡せなかった。

 他界した妻と出会った45年前の時も、似た様な状況だった。その時は連絡先を書いたメモを渡すことができた。そして数年後、結婚した。

 しかし、今回は、メモを渡すチャンスを自ら作っておきながら、渡せなかった。心にブレーキをかけた一番の要因は、自分の年齢だった。分別があるとないとの差は、何なのか。分別も無分別も一如! 分かった様な分からない様なことを言って、自分を偽った。

どんな人よりも上手く、自分のことを偽れる力を持ってしまった(※「黄金の月」の一節=スガシカオ 作詞・作曲)

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