見出し画像

愛されることが怖くて逃げた



ミスiD期間で後悔していることの一つを、題名にしました。

私は今年の1月に芸人として活動を始めるまで、本当にただの一般人でした。大晦日は大森靖子さんのカウントダウンコンサートに行き、ラストアイドルでの吉田豪さんのジャッジに文句を言う(木崎千聖ちゃん落としたの今でも怒ってるかんな!)、本当に普通の大学生でした。

芸人を始めた時、友達はみんな応援してくれました。というか、「かごめらしいね」とたくさん言ってくれました。
確かに、芸人になると決めた時の行動力、瞬発力は私らしさそのものだったと思います。


芸人は、誰かに愛されることが生業ではありません。
世の中の笑顔を増やすのが仕事です。


「可愛いで救いきれない世界を私の面白いで救いたい」
こう言い続けながら活動していました。


ミスiDのことは、薄々知っていました。
川後陽菜さんが乃木坂工事中で話していたり、菅本裕子さんがTwitterで「今年(当時)のミスiD何も興味無い」と呟いていたから、存在は知っている……程度。

無謀にも私は、挑戦を決めました。

有名になりたいわけじゃない。
注目を浴びたいわけじゃない。

ただ、「可愛いで救いきれない世界を私の面白いで救いたい」という思いを広める手段としてぴったりだと思いました。


ミスiDにはCheerzでの戦いが何度もあります。
私はプレエントリーからだったので、もう何度もCheerz上で戦ってきました。


可愛くない私は、Cheerzでの戦いが苦手でした。
「横顔がぎりぎり見てられる程度の容姿」だからです。

自分に自信を持たせる意味も込めて、私横顔綺麗!と言い続けてきましたが、本当は顎削りたいしおでこも丸くしたいです。コンプレックスだらけ。

ネットに写真をあげたことすらほとんどなかったのに、自撮りを載せるなんて……と、苦戦を強いられました。


しかし、Cheerzには自撮り投稿以外にもう一つ、機能があります。
生配信機能です。

インスタライブやSHOWROOMなど、生配信ツールといったら顔出しが基本なので、これも本来は私と無関係のもののはずでした。

そこを敢えて、画面を真っ暗にして、「ラジオ配信」にすることで、ようやく私はCheerzで戦えるようになりました。

私のラジオ配信、通称「大喜利配信」は、少しずつ人気になったのを覚えています。
8月にセミファイナリストとして発表された時、私のCheerzお気に入り登録者数は100人に満たないほどでしたが、9月末にファイナリストになった時には550人を超えていました。
横顔の投稿もしていましたが、明らかに大喜利配信の方が注目されていました。

セミファイナリストになるまでは、私は「元相方の小道具」でした。当時の相方です。元相方はライブのお客様に私を「ちょうどいい小道具」と言っていたし、私もまぁそうだろうなと思ってお笑いをしていました。

セミファイナリストになり、大喜利配信をしている時の私は、小道具ではなく、確実に「主役」でした。
元相方のついで、と私を応援してくださる方だけでなく、ミスiDやCheerzをきっかけに私を応援してくださる方がどんどん増えました。


嬉しい反面、恐ろしくなりました。

私の思いを伝えたい、でも、応援されたり愛されたりするのは怖い。
愛してくれる人の方が私の思いを受け取ってくださりやすいだろう、でも、愛してるから思いを受け取ってくれてるのだとしたら怖い。

セミファイナリスト期間の最後、Cheerzのランキングでなんとか10位以内に入ろうとしていた頃は、もうとにかく順位を上げることに必死でした。
いつの間にか、本来ミスiDに出た目的を忘れていました。


ファイナリストになった時、これで良かったっけ?と自分に問いかけました。

私は愛されるためにミスiDに出たんじゃない。
可愛いで救いきれない世界を面白いで救うために、ミスiDに出たんだ。

(コンビを解散したことに一切の後悔はありませんが)解散によりお笑いの現場にでることはなかなかなくなり、なんだか自分が虚しくなりました。

だから、愛されなくて済むように、生きたいように生きられるように、私は愛されることから逃げました。
CheerzもTwitterもログインをやめました。


私の愚かな勘違いでした。
私を応援してくださる方は、「私自身」を応援してくださっただけではなくて、「私の作品」を愛してくださっていました。

私が愛されている、と思い込んでしまったから、そこから逃げました。
でも、私の作品を愛してくださるのは、つまり「私の思いを受け取ってくれている」こと、「可愛いで救いきれない世界を面白いで救われて」くれているということ。

表舞台にいる限り、私は自分自身が愛される恐怖と戦うことになってしまいます。
それより、もっと、作品そのものを見て欲しいから、だから私は、これからの活動を表に出さないと決めました。
私が作ったと知らなくてもいい、ただ、笑顔になってほしい。

愛されるのは怖いことです。
私と同じように、逃げてしまう人もいると思います。

自分自身を守るために、もっと作品が愛されるように、生きてみてほしいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?