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おいらのオンボロ、行けるところまで行こう

 なあ、おいらのオンボロ。
 あれはもう、何年前のことだったろうなあ。

 あの日は初夏の土曜日だった。おいらたちはいつもより早起きして出かけたんだ。五月晴れってのはこういうのを言うんだってくらい、青空がどこまでも広がっていたよな。整備を終えたばっかだったし、なによりおまえも若かったから、エンジンもバッテリーも絶好調だった。

 二十分後、隣町の療養訓練センターに着いた。ちょっと遅刻しちまった。玄関口にはもうみんな、待ってたよな。

 ひとりはC枝先輩。車いすに乗ってて、両手足の動きが悪かったから、生活の多くで介助が必要だったけど、典型的な姉御肌で、養護学校時代はみんな先輩にあこがれてたんだ。

 もうひとりはA美先輩。C枝先輩の一番の親友。内部障害で、ちょっと腎臓が悪かった。でも穏やかで優しいひとで、C枝先輩の世話は、A美先輩が全部やってたっけ。

 最後は後輩のT郎。おいらとおなじ下半身まひで車いすに乗ってた。あんまり口数は多くないんだけど、時々ぼそっとくだらないこと言っては、みんなを笑わせてたな。

 で、みんな、おまえになんとか乗り込んだ。C枝先輩はちょっと乗るのが大変だったけどな。三人分の車いすは全部、A美先輩がトランクに積みこんでくれた。車いすはおまえのなかにしっかりとおさまった。なんたってそのために、おまえを愛車にしたんだからな。

 乗り込んだはいいが、出発はすぐしなかった。おいらたち、出かけるのは決まっていたけど、行き先を全然決めてなかったんだ。気合入れてエンジンふかしてたおまえは腰くだけたろうな。

 でもとにかく車を出そうってなって、おいらはようやく足元のブレーキとアクセルと連動しているレバーを操作して、おまえを走らせはじめた。しばらく走った後A美先輩が「○○ダムに行こうか」って言って、じゃあそこに行こうって話になった。そこは県の真ん中にある山のふもとにあるダム湖で、当時日本一の高さまで噴き上げる噴水が名物だった。

 ダムまでは一時間半くらい。街中を抜けると、まわりは新緑の山と田んぼだらけの田舎道に入ってった。田植えが終わったばかりの苗がきれいだったな。でもそんなのみんな全然見てなくて、わいわいとくだらない話で盛り上がり、オーディオでCDをがんがん流してた。C枝先輩とA美先輩はB'Zが好きだったから、ふたりで「ワンダフル・オポチュニティ」を歌いまくってたな。T郎はラルクだっけか? おいらはもちろん、くるりの「ハイウェイ」。

 一時間半後、うねうねした山道の途中にあるダム湖に着いた。まわりが山に囲まれたダム湖は、思ったより水が澄んでて、すごいきれいだったよな。掲示板を見ると、噴水が出る時間は決まっていて、次の回は三十分後だった。

 腹が減ってたおいらたちは、そばの売店でソフトクリームとかたこ焼きとかフランクフルトを買って食べた。おまえは見てないだろうけど、C枝先輩の口元にA美先輩がソフトクリームを突っ込みすぎて鼻に入ってC枝先輩が「罰ゲームかよ」って怒ったり、座ってたテーブルに寄ってきたでっかい蜂をT郎が豪快に手で追っ払ったり、いろいろしょうもないことが起きてたんだよ。

 そうこうしてるうちに、噴水の時間になった。おいらたちは観覧場所に行って、噴水を見た。これはおまえも駐車場から見たろ。ダム湖の真ん中に据えられた円盤みたいなところから、ざーっという水音と共に水がどんどん噴き上がってきて、そのうちまわりの山も超える高さになった。空まで届きそうだったな。おいらたち、あんだけやかましかったのに、あの時だけはどこまでも高く噴き上がる水の柱を、静かにずっと見ていたよ。

 噴水を見終わってダム湖から出発したあとも、いろんなところに寄ったな。コンビニ行ってまたアイス食ったり、景色のいいとこで写真撮ったり、街に戻ってからはカラオケ屋にも行ったっけな。あんだけおまえのなかで歌ってたのにな。

 もうすぐ夜になるってとこでセンターに帰ってきてみんなと別れて、おまえと家に戻った。さすがにちょっとくたびれたよ。でも、あの日は本当に、本当に楽しかったな。

 ……なあ、オンボロ。あれから、ずいぶん長い年月がたったな。お互い年もくった。

 おいらは元からの障がいに加え、腎臓を壊して、体調を崩してばかりだ。最近おまえと行くとこといえば病院ばっかだな。

 そういうおまえも、だいぶがたがきてるよな。自慢のメタリックレッドのボディもすっかりくすんで傷だらけだ。後ろのバンパーは右側がさびてるし、ヘッドライトは暗いし、中もあちこち部品が壊れて、傷汚れもひどい。二年前、通勤途中に道路で突然止まったときは焦ったよ。JAF呼んで直してもらったけど、さすがにあん時は、おまえももう限界かなって思った。

 おまえも、おいらも、本当にオンボロだな。

 ……C枝先輩は、あの後好きなひとができて、そのひとと九州へ行ったよ。何度かメールしたけど、流産したり、病気にもなったりして、そのうち年賀状だけのやり取りになってしまった。最近はメールもない。元気だといいんだけど。

 T郎は、あれから時々電話が来たりしてたけど、それもいつからか途絶えちまった。どうしたのかと思ってこっちからかけてみたけど、出ないんだ。後から聞いたんだけどあいつ、進行性の病気だったらしいんだよ。あいつの他の友達も連絡が取れないらしくて、今はもう、どこでどうしているかもわからなくなっちまった。もっともっと話を聞いておけばって、すごく悔やんでる。

 A美先輩のことはわかるよな。あれから数年後の冬、急に病気が悪化して、天国へ行ってしまった。おまえと一緒に最後のお別れを言いに行ったな。頬がこけて、カッターで傷つけたみたいに荒れて青ざめた唇の彼女の顔をみたら、もうなにも言えなくなっちまった。帰り、おまえの背もたれに寄りかかって、しばらく動けなかったよな。おまえは黙ったまま、おいらが寒くならないように、暖房で暖めてくれたっけ。

 あの日あの時のみんなは、もう、遠く離れてしまったよ。

 ……あの後も、おまえとはいろんなひとと、いろんなとこに行ったよな。違う友達知人とディズニーランドまで遠征に行ったり、あの後いっしょになったパートナーと温泉やら道の駅や、美術館や博物館にも行ったりさ。普段は通勤、通院、買い物やらで、おまえとは本当に毎日の付き合いだ。

 でもさ、最近になって、思うんだよ。

 それらはすべて「旅行」「観光」「遠出」「行事」「雑用」で、決して「旅」なんかじゃなかったな、って。

 行き先も決めず、きまぐれにふらふらと出かけ、見たいものを見て、食べたいものを食べて、話し、騒ぎ、歌い、みんなでおまえに乗って笑い合ったあの日あの時だけが、おいらたちにとっての「旅」だったんじゃないかって。

 そして、そんな「旅」は、あれが最初で最後だったんじゃないか、って。

 ………実はさ、家族とか同僚とか、いろんな人から最近言われるんだよ。「車、そろそろ買い換えたら」って。でも心配すんな。おいらにとって、おまえはただの車じゃない。親友、相棒、恋人、配偶者、きょうだい……その全部なんだ。そんなやつと別れるなんて、できっこないだろ。

 さっきも言ったけど、お互い本当にオンボロだ。でもオンボロ同士、これからもふらふらへろへろしながら、なんとかやっていこうや。おいらはおまえが大好きだからさ。

 ………もうひとつ、思っていること、言っていいか?

 おいらとパートナーといっしょに、また「旅」に付き合ってほしいんだよ。

 もちろん、いつも三人で出かけてるよ。でも、パートナーは行き先や泊まるところがある「旅行」が好きで、あの日のみんなとしたような「旅」はあまり好きじゃないんだ。

 でも今度は、「旅」に誘ってみようって考えてる。行き先も決めず、道の続くまま、ハンドルの向くまま、その時の気分で行き先を決める「旅」をしたいんだよ。

 それで、どっか景色のいい、青空の下で休憩した時、あの日あの時の「旅」の話を、パートナーに聞かせたいんだ。おいらたちの想い出を、パートナーとも分かち合いたいんだ。あの時のように、ソフトクリームでも食べながらさ。

 これは勝手な望みだけど、そんな想い出話をしたら、きっとみんなのこころにも伝わる気がするんだよ。もうみんな遠く離れて、会えなくなってしまったけど、おまえが走った道も、あの噴水が昇っていった空も、みんなのもとへとつながっているんだから。もちろん、空の上の天国にもね。だから、その時が来たら、また頼むよな。

 お互いオンボロ同士。あとどれくらい時間が残ってるか、わからない。

 でもまだもうしばらく「旅」は続きそうだよ。だから。

 おいらのオンボロ、行けるところまで行こうな。

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