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9月22日

朝7時、スマートフォンのアラームで私は目を覚ました。

いつもの寝不足感と倦怠感を抱えつつ、五歳で下半身まひの障がいを負って以来、動作も感覚も失った両脚をひきずって布団から出、着替えを済ませる。今朝は少し冷えていて、黒のシャツを着るとき身震いした。少し遅れて起きた妻の千鶴も「ちょっと寒いね」と、薄手のカーディガンをはおった。

居間にいき、血圧計を取り出して血圧を測る。やや高めの数値にため息が出る。最近はずっと高止まりだ。「疲れてるからだよ」千鶴がいたわるような声をかけてきた。

トイレにいき、十数年前に腎臓を壊してから課せられた、カテーテルによる自己導尿を済ませた後、千鶴が用意してくれた朝食を食べる。トーストにハムとチーズ、それに野菜ジュースと飲むヨーグルトを混ぜたもの。ずっと変わらない朝食メニュー。でもこれが飽きない。からだがなじんでいるのだろう。食後は服薬。ビニールの個装に入れられた13粒の錠剤を手に受け、一気にぬるま湯で飲み干す。薬を飲むのは昔から得意だ。

洗顔、歯磨き後、横になる。薬が効きはじめる午前は、からだの倦怠感が増し、眠気もぶり返す時間帯だ。動悸がひどいときもある。目をつぶり、規則正しい呼吸を繰り返す。時々起き、経口補水液と水を摂る。水分補給は腎機能と貧血改善には欠かせない。そうしている隣で、千鶴は録りためたドラマを観る。午前は「なつぞら」を連続で流していた。そうしながら、洗濯機をまわす。

11時近く、ようやくからだが落ち着いてくる。二回目の自己導尿を済ませると、千鶴とスーパーに一週間分の買い物に出かける。やけに混んでいるなと思ったら、ポイント10倍日だった。かごを入れたカートを私が持ち、後ろから千鶴が私の乗る車いすを押す。カートと車いすの列車で、通路の人混みをよけつつ、品物をかごに入れていく。「最近またホウレン草高くなったなあ」千鶴がぼやく。昼食はフードコートで済ませる。私はかき揚げそば。千鶴は野菜たっぷりのタンメン。

帰宅後、少し千鶴の様子がおかしい。「なんか頭痛い」。窓をみると、雲があつくなっている。千鶴は気圧の変化で頭痛をおこすことがしばしばある。台風も近づいてきているし、なにより先週は仕事が忙しかった。疲れているのだろう。我慢せず鎮痛剤を飲むようすすめる。千鶴はあまり薬が好きではなく(好きなひとなどいないだろうが)、拒む時もあるのだか、この時は素直にうなずき、薬を飲んだ。

私はまた車に乗り、実家に向かう。前日、実家の母が携帯電話からスマートフォンに変えたのだが、わからないことだらけなので教えてほしいといわれていたのだ。本当は千鶴も行く予定で、実際出かける準備もしていたのだが、いいからゆっくりしてろ、と、ひとり出かけた。

着くと、母が「いやいや、直幸、わがらねねえ」と、途方にくれていた。真新しいスマートフォンの脇にいろいろ書き込みされたメモがある。どうやらこれが「聞きたいことリスト」か、と、つい苦笑する。

電話帳の出し方、メールの送り方、カメラの操作法、フォトアルバムの設定、グーグル検索…。テーブルに置いたスマートフォンを人差し指一本でたどたどしく操作する母に、少しずつ機能を教えていく。「あー、こうするっけのが」「こだごどさんなねんだねえ」眉をしかめつつ、笑いつつ、母はなんとか「聞きたいことリスト」のやり方を覚えていった。その間、私のLINEに千鶴からしばしば連絡が入ってきていた。気になっているらしい。大丈夫だから寝てろ、と返す。母も無理しないで休んでて、と覚えたてのメールを送った。母がメモに書き込みしている間、フォトアルバムを開いてみると、黄葉があざやかなイチョウの並木道の画像があり、なんとなく見入ってしまった。

その隣で、私たちになど構いもせずテレビを観ていた父が「おー!」と叫んだ。顔をあげると、大相撲千秋楽、優勝決定戦で御嶽海が貴景勝をくだし、二回目の優勝を決めたところだった。父は携帯電話の類を一度も持ったことがない。「ほだないらねんだ」。言い切る父を、ちょっとうらやましく思う時もある。

お礼にと母から夕飯のおかずをもらい、帰宅する。千鶴の頭痛は少しよくなったようだが、まだ完全ではないようだ。もらったおかずで夕食にする。筑前煮みたいな煮物とキュウリの浅漬け、そしてこのあたりでは彼岸の時期に作る、納豆とごまのぼたもち。千鶴は母のぼたもちが好物だ。

片付けを終え、世界バレーを観ていたら、ふたりして試合終了までうたた寝してしまった。千鶴も不調だし、私も慣れないスマートフォンを触り続けたせいか、疲れていたみたいだ。あわてて入浴をすませると、そのまま寝ることにした。

布団に入ると、私は左手薬指の指輪をはずし、わずかな灯りのなかで指輪の内側に刻まれた文字を読んだ。

C to N  SEP 22 2001

私たちが、ささやかな結婚式をあげた日。

以来、一年ごとこの日がくるたび、指輪の文字を読むのが私のならわしとなっていた。ちなみに千鶴のそれにも文字が刻まれている。ただ出だしがちがう。N to C。

少しの不調と疲労を抱えつつも、また今日という日を過ごすことができた。

私は指輪をはめなおし、瞼を閉じた。隣からやわらいだ千鶴の寝息が聞こえていた。






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