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85円でつながる縁

年賀状を整理した。

ここ数年、忙しくてあまり年賀状書くことができなかった。ただ、今年はようやく、仕事やプライベートも落ち着き、今年はちゃんと書こうという気になって、過去の年賀状を整理をした。

そんな折、はがきや封書の切手の値上げを検討している、というニュースを聞いた。封書は110円、はがきは85円を検討しているとのこと。

ここでふと考えた。

年に一回とは言え、85円でつなぎとめたいほど関係と、相手に思われないか、だ。

これまで年賀状というと、年に一回、もしくは暑中見舞いを含めれば、年に2回、「スパムに受け取られない」日本の貴重な縁をつなぐ風物詩だと、私は認識していた。

名刺交換した程度の間がらでも、年賀状を送ってうとまれたことはない。しかし、メールでそんなことをしたら、すぐに迷惑メールフォルダ行きである。ファックスであっても、相手の紙を使うためこれまた迷惑の様相が強い(それ以前に今はFAXがないことも多いだろうが)。

年賀状や暑中見舞いは、こちらが全て負担し、風物詩という日本全体の共通認識があるため、名刺交換程度でもそれほど嫌がられることはなかったように思う。

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今後、ハガキが値上がりするとなると、これは受け取るほうも影響はあるのではないか。

もちろん、缶コーヒーやコンビニコーヒーなどよりも、それでもまだ安い。なので、あまり気にすることないのかもしれない。

ただ、ほぼ100円という金額で、年始の挨拶をするというのは、40円だった頃を知っている身としては、なんだか大げさな感じもしてしまう。

そして、今の人たちにとっては、この85円というのはどのぐらいの価値観なのだろうか、気になる。

100円ショップなどで、おしゃれな雑貨が気軽に買えてしまう時代。縁をつなぐために85円、これはどう受け止められるのだろうか。

ネット黎明期においては、年賀状メールやあけおめメール、というのは比較的、避けたほうがよい行いとして認識されていたように思う。当時は、元日にトラフィックが集中してしまうと良くないと思われていたからだと思う。

しかし、今となってはブロードバンドで動画もバンバン見られる、そんな時代では、ネットで新年の挨拶をする程度で、トラフィックが集中するということはないはずだ。

また、ネットになれた世代にとっては、紙で、物理で、わざわざ来るというのは、SNSやメールでくるより、重たく感じるのではないか。どうなのだろうか。

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年賀状は年年減ってると聞く。調べると、12年連続で発行枚数は減っているらしい。

もちろん人口減少など、さまざまな要因はあると思うが、今後も発行枚数は増えるということはないように思う。

そう考えてみると、紙で届く年賀状、という行為は今後どう見えるのだろうか。

調べてみると年賀状の歴史は古い。

文献によっては、平安時代に貴族たちしたためた手紙を由来とするものもある。また、親族に対して新年の挨拶を回る年始回りとも関わりがあるらしい。そう考えると確かに歴史は古く、ここまでの共通認識になっているのもうなづける。

現在のスタイルになったのは、明治以後、官製はがきが登場したことによるそうだ。確かに当時1月1日の消印がついていることに価値があったように思う。ネットがなかった頃は消印にもトレーサビリティを感じ、たんなる届く紙とは別ななにかも感じていたようにも思う。ああ、この人は元旦に着くようにちゃんと出しているのね、などと思いを馳せた時もあった。

そう考えると年賀状は、年始回りの代わりとも言えるかもしれない。

そうすると、年始回りを85円で済ませられるというのは合理性があるように思う。

年始回りで会いたい人、年始回りに会いたいと思うくらいの信頼関係、そうであれば85円は重たく感じられないようにも思う。もちろん、年始周りという考え方が、どれほど通用するかは分からないが。

推しへのサブスクやメンバーシップに、月額何百円、何千円もの課金をする時代。そこで、年に1回とは言え、85円の紙媒体を発行し相手に送付する行為。あらためて考えてみると、不思議な行為だなと感じた年の瀬だった。

それにしても、年賀状って捨てられないよね。


この記事は吉田喜彦個人が書いています。