見出し画像

「大学院をやめます」#220305

こんばんは。

今回は大事なご報告をさせていただきます。

色んな経緯はあります(以前書いたことがあるので省略します)が、大学院の入学金を支払う意思がない(支払うことができない)ため、除籍処分を受けることになりました。

本年度いっぱいで大学院の入学が取り消しになります。

正直、大学院をこのような形でやめることになり、到底大きな声で言うものではないと思っています…

ですが、支援室で手続きを済ませてお家に帰ってきて出てきた言葉は「よっしゃぁ!!!」でした(皆さまの気を悪くさせるつもりはまったくありません…)。

それだけ何か解放感があったのかなぁと思うと考えるものがあります。

これまで、学ぶことを強いられている感覚、つまり「勉強」をしてしまっていたのではないかということや、どっちつかずで中途半端になってしまう要素が一つなくなったこと、お金の心配をしなくて済むこと、何はともあれ安堵感が強くでた感情だなぁと思いました。

ということで、4月からは、社会人になります。

3月からすでに常勤講師としての勤務が開始しています。常勤講師といえば、基本的に単年度採用のことが多いとは思いますが、僕は、育休講師として先生が復職する予定までの期間を任期として採用されました。

学校現場での経験はそれがすでに人生であり、そして人生の中における通過点になっていくものとして、毎日の発見を楽しみながら過ごしていきたいと思います。

先生になって思ったのは、教科の専門性を高めていきたいというよりは、「教養の幅を広げていきたい」だなぁということです。

先日、教育新聞で庄子先生と渡辺先生の『ミドルリーダーの教師観と働き方』という記事がありました。そこに見出しですが、「生きていることが教材研究」と書いてあったのです。

まさにその通りだなぁと思って、教員のバイブルは「学習指導要領」だと思っていますが、その指導要領の可能性の幅を広げるも深めるも、教員自身の教養のレベルによるのではないかなぁと感じています。だからこそ、教員自身が、僕自身が、学び方の引き出しをたくさん持っておくといいのかもしれないなと。

でも、教養が一番にくるものではないかもしれません。知識としての教養はすでにネット上に無数に転がっているからです。じゃあ何が必要なんだろうか、というところは考えながら、答えのない未来に向かって子供たちと対話が重ねていきたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。


竹之内大輝/かぐや